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第二コリ
ント 3:1−3
わたし達
のための推薦の手紙はあなた達
翻訳比較
聖書協会共同訳2018
◆新しい契約に仕える者
2コリ
3:1 私たちは、またしても自分を推薦し始めているのでしょうか。それとも、ある人々のように、あなたがた宛ての推薦状、あるいはあなたがたからの推薦
状が、私たちに必要なのでしょうか。
2コリ 3:2 私たちの推薦状は、あなたがた自身です。それは、私たちの心に記されていて、すべての人に知られ、また読まれています。
2コリ
3:3 あなたがたは、私たちが書いたキリストの手紙であって、墨ではなく生ける神の霊によって、石の板ではなく人間の心の板に記されたものであること
は、明らかです。
フランシスコ会訳2013
コリントの人々への第二の手紙3
フランシスコ訳聖書 2Co <3>章
聖書本文
◆新しい契約の下での奉仕――「霊」の奉仕
001わたしたちは、またもや自分を
売り込もうとしているのでしょうか。それとも、わたしたちは、ある人々のようにあなた方に宛てた推薦状、あるいは、あなた方からの推
薦状を必要としているのでしょうか。
002あなた方こそ、わたしたちを推
薦する手紙です。それはわたしたちの心に書きつけられており、すべての人に知られ、また読まれているものです。
003確かにあなた方は、わたしたち
の奉仕を通じて書きあげられた「キリストという手紙」であり、墨ではなく生ける神の霊によって、石の板にではなく人間の心の板に書き
つけられたものです。
岩波翻訳委員会訳1995
470301私たち
は、再び自己推薦を始めているのだろうか。それとも私たち
は、ある人たちのように、あなたがたに対する、あるいはあなたがたからの推薦の手紙を必要としているのであろうか。
470302私たち
の〔推薦の〕手紙はあなたがた〔自身〕であり、それは、私た
ちの心のうちに書き〔刻ま〕れており、すべての人たちによって知られ、そして読まれているものである。
470303あなた
がたが私たちの奉仕によって〔書かれた〕キリストの手紙であ
ることは、〔すでに〕明らかにされている。〔しかもそれは、〕墨によってではなく、むしろ生ける神の霊によってのものであり、〔ま
た〕石の板にではなく、むしろ肉の心の板に書き〔刻ま〕れている手紙である。
新共同訳1987
3:1 わたしたちは、またもや自分を推薦し始めているの
でしょう
か。それとも、ある人々のように、あなたがたへの推薦状、あるいはあなたがたからの推薦状が、わたしたちに必要なのでしょうか。
3:2 わたしたちの推薦状は、あなたがた自身です。それ
は、わたし たちの心に書かれており、すべての人々から知られ、読まれています。
3:3 あなたがたは、キリストがわたしたちを用いてお書
きになった 手紙として公にされています。墨ではなく生ける神の霊によって、石の板ではなく人の心の板に、書きつけられた手紙です。
前田訳1978
3:1 われらはまたもや自己推薦をはじめるのでしょう
か。それと も、ある人々のように、あなた方への、またはあなた方からの推薦状がわれらに要るのですか。
3:2 われらの推薦状はあなた方自身で、われらの心に書
かれてお り、すべての人に知られ、また朗読されています。
3:3 あなた方がわれらの奉仕によるキリストの手紙であ
り、墨によ らず、生ける神の霊により、石の板にでなく、肉の心の板に書かれていることは明らかです。
新改訳1970
3:1 私たちはまたもや自分を推薦しようとしているので
しょうか。 それとも、ある人々のように、あなたがたにあてた推薦状とか、あなたがたの推薦状とかが、私たちに必要なのでしょうか。
3:2 私たちの推薦状はあなたがたです。それは私たちの
心にしるさ れていて、すべての人に知られ、また読まれているのです。
3:3 あなたがたが私たちの奉仕によるキリストの手紙で
あり、墨に
よってではなく、生ける神の御霊によって書かれ、石の板にではなく、人の心の板に書かれたものであることが明らかだからです。
塚本
訳1963
3:1 (こう言えば、)わたし達はまたまた「自分を推薦
し」始めた
(と悪口を言われる)のであろうか。それともどこかの人たちのように、(エルサレム集会から)あなた達あての、あるいはあなた達から
の推薦の手紙を、わたし達が必要とするとでもいうのか。
3:2 わたし達のための(推薦の)手紙はあなた達であ
り、わたし達 の心に書き込まれており、皆の人に知られまた読まれている。
3:3 (実際)あなた達はわたし達によって配達されたキ
リストの手
紙であって、インキでなく生ける神の霊で、また、(モーセ律法とは違い)『石の板』にではなく『人の心の板』に書かれていることが、
知れ渡っているのである。
口語訳1955
3:1 わたしたちは、またもや、自己推薦をし始めている
のだろう か。それとも、ある人々のように、あなたがたにあてた、あるいは、あなたがたからの推薦状が必要なのだろうか。
3:2 わたしたちの推薦状は、あなたがたなのである。そ
れは、わた したちの心にしるされていて、すべての人に知られ、かつ読まれている。
3:3 そして、あなたがたは自分自身が、わたしたちから
送られたキ
リストの手紙であって、墨によらず生ける神の霊によって書かれ、石の板にではなく人の心の板に書かれたものであることを、はっきりと
あらわしている。
文 語訳1917
"470301","我等ふたたび 己を薦め始めんや、また或人のごとく人の推薦の書を汝らに齎し、また汝等より受くることを要せんや。"
"470302","汝らは即ち我 らの書にして我らの心に録され、又すべての人に知られ、かつ讀まるるなり。"
"470303","汝らは明
かに我らの職によりて書かれたるキリストの書なり。而も墨にあらで活ける神の御靈にて録され、石碑にあらで心の肉碑に録されたるな
り。"
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各国聖書
引照編集
(独)NESTLE-ALAND
NOVUM TESTAMENTUM
GRAECE 27版1993 の
引照
新
共同 Uコリ5:12
5:12
わたしたちは、あなたがたにもう一度自己推薦をしようというのではありません。ただ、内面ではなく、外面を誇っている人々に応じられ
るように、わたしたちのことを誇る機会をあなたがたに提供しているのです。
新
共同 使 18:27
18:27
それから、アポロがアカイア州に渡ることを望んでいたので、兄弟たちはアポロを励まし、かの地の弟子たちに彼を歓迎してくれるように
と手紙を書いた。アポロはそこへ着くと、既に恵みによって信じていた人々を大いに助けた。
(英・米)THE
NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE 1982 の引照
口
語訳 Uコリ12:11
12:11
わたしは愚か者となった。あなたがたが、むりにわたしをそうしてしまったの
だ。実際は、あなたがたから推薦されるべきであった。というのは、たといわたしは取るに足りない者だとしても、あの大使徒たちにはな
んら劣るところがないからである。
口
語訳 Tコリ9:1-2
9:1
わたしは自由な者ではないか。使徒ではないか。わたしたちの主イエスを見たではないか。あなたがたは、主にあるわたしの働きの実では
ないか。
9:2
わたしは、ほかの人に対しては使徒でないとしても、あなたがたには使徒である。あなたがたが主にあることは、わたしの使徒職の印なの
である。
口
語訳 Tコリ3:5-10
3:5
アポロは、いったい、何者か。また、パウロは何者か。あなたがたを信仰に導いた人にすぎない。しかもそれぞれ、主から与えられた分に
応じて仕えているのである。
3:6
わたしは植え、アポロは水をそそいだ。しかし成長させて下さるのは、神である。
3:7
だから、植える者も水をそそぐ者も、ともに取るに足りない。大事なのは、成長させて下さる神のみである。
3:8
植える者と水をそそぐ者とは一つであって、それぞれその働きに応じて報酬を得るであろう。
3:9
わたしたちは神の同労者である。あなたがたは神の畑であり、神の建物である。
3:10
神から賜わった恵みによって、わたしは熟練した建築師のように、土台をすえた。そして他の人がその上に家を建てるのである。しかし、
どういうふうに建てるか、それぞれ気をつけるがよい。
(日)新共同訳1987の
引照
新
共同 Uコリ5:12
5:12
わたしたちは、あなたがたにもう一度自己推薦をしようというのではありません。ただ、内面ではなく、外面を誇っている人々に応じられ
るように、わたしたちのことを誇る機会をあなたがたに提供しているのです。
新
共同 Uコリ10:12
10:12
わたしたちは、自己推薦する者たちと自分を同列に置いたり、比較したりしようなどとは思いません。彼らは仲間どうしで評価し合い、比
較し合っていますが、愚かなことです。
新
共同 Uコリ10:18
10:18
自己推薦する者ではなく、主から推薦される人こそ、適格者として受け入れられるのです。
新
共同 Uコリ12:11
12:11
わたしは愚か者になってしまいました。あなたがたが無理にそうさせたのです。わたしが、あなたがたから推薦してもらうべきだったので
す。わたしは、たとえ取るに足りない者だとしても、あの大使徒たちに比べて少しも引けは取らなかったからです。
新
共同 ロマ 16:1
16:1
ケンクレアイの教会の奉仕者でもある、わたしたちの姉妹フェベを紹介します。
新
共同 Tコリ16:3
16:3
そちらに着いたら、あなたがたから承認された人たちに手紙を持たせて、その贈り物を届けにエルサレムに行かせましょう。
新
共同 Tコリ9:2
9:2
他の人たちにとってわたしは使徒でないにしても、少なくともあなたがたにとっては使徒なのです。あなたがたは主に結ばれており、わた
しが使徒であることの生きた証拠だからです。
新
共同 Uコリ3:6-7
3:6
神はわたしたちに、新しい契約に仕える資格、文字ではなく霊に仕える資格を与えてくださいました。文字は殺しますが、霊は生かしま
す。
3:7
ところで、石に刻まれた文字に基づいて死に仕える務めさえ栄光を帯びて、モーセの顔に輝いていたつかのまの栄光のために、イスラエル
の子らが彼の顔を見つめえないほどであったとすれば、
新
共同 ヘブ 8:10
8:10
『それらの日の後、わたしが/イスラエルの家と結ぶ契約はこれである』と、/主は言われる。『すなわち、わたしの律法を彼らの思いに
置き、/彼らの心にそれを書きつけよう。わたしは彼らの神となり、/彼らはわたしの民となる。
(仏)THE NEW
JERUSALEM BIBLE 1985 の引照
口
語訳 Uコリ5:12
5:12
わたしたちは、あなたがたに対して、またもや自己推薦をしようとするのではない。ただわたしたちを誇る機会を、あなたがたに持たせ、
心を誇るのではなくうわべだけを誇る人々に答えうるようにさせたいのである。
口
語訳 Uコリ10:12-13
10:12
わたしたちは、自己推薦をするような人々と自分を同列においたり比較したりはしない。彼らは仲間同志で互にはかり合ったり、互に比べ
合ったりしているが、知恵のないしわざである。
10:13
しかし、わたしたちは限度をこえて誇るようなことはしない。むしろ、神が割り当てて下さった地域の限度内で誇るにすぎない。わたしは
その限度にしたがって、あなたがたの所まで行ったのである。
口
語訳 Uコリ11:18-19
11:18
多くの人が肉によって誇っているから、わたしも誇ろう。
11:19
あなたがたは賢い人たちなのだから、喜んで愚か者を忍んでくれるだろう。
口
語訳 Tコリ9:2
9:2
わたしは、ほかの人に対しては使徒でないとしても、あなたがたには使徒である。あなたがたが主にあることは、わたしの使徒職の印なの
である。
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新しい契
約ははるかにまさる
翻訳比較
聖書協会共同訳2018
2コリ 3:4 私たちはキリストによって、このような確信を神に対して持っています。
2コリ 3:5 何事かを自分のしたことと考える資格は、私たちにはありません。私たちの資格は神からのものです。
2コリ
3:6 神は私たちに、新しい契約に仕える資格を与えてくださいました。文字ではなく霊に仕える資格です。文字は殺し、霊は生かします。
2コリ
3:7 石に文字で刻まれた死をもたらす務めさえ栄光に包まれて、モーセの顔に輝くつかの間の栄光のために、イスラエルの子らがその顔を見つめることがで
きなかったとすれば、
2コリ 3:8 まして、霊に仕える務めは、なおさら、栄光に包まれているはずではありませんか。
2コリ 3:9 人を罪に定める務めに栄光があったとすれば、人を義とする務めは、なおさら、栄光に満ち溢れているからです。
2コリ 3:10 事実、かつて栄光を受けたものは、この場合、はるかに優れた栄光の前に、栄光を失ったのです。
2コリ 3:11 やがて消え去るものが栄光を帯びていたのなら、永続するものは、なおさら、栄光に包まれているはずだからです。
フランシスコ会訳2013
004これほどの確信を、わたしたちはキリストによって神の前に抱いています。
005自分自身から何かが生じるなど
と認める資格がわたしたちにあるのではありません。かえって、わたしたちの資格は神からのものです。
006神は、わたしたちを新しい契約
に奉仕する、つまり、「文字」にではなく「霊」に奉仕する資格のある者としてくださいました。「文字」は人を殺し、「霊」は人を生か
すからです。
007もし、石に刻みつけられた「文
字」によって死に仕える奉仕が栄光に包まれ、モーセの顔にある、消え去るはずの栄光のために、イスラエルの子らは彼の顔を見つめるこ
とができないほどであったとすれば、
008まして、「霊」に仕える奉仕が
いっそう栄光に包まれていないなどということが、どうしてありえましょうか。
009人を罪に定める奉仕に栄光があ
るとすれば、人を義とする奉仕は、遥かに栄光に満ち溢れているのです。
010実に、かつて栄光を受けたもの
も、この点からすれば、遥かに優れた栄光の前には栄光を受けなかったことになっています。
011もし、消え去るはずのものが栄
光の中を通ったことがあるとすれば、まして、永続するものはいっそう栄光に包まれているのです。
岩
波翻訳委員会訳1995
470304つ
まり、私たちはキリストをとおして、神に対するこのようなたしかな思いをもっている。
470305〔し
かし〕私たちが、己れ自身〔の力〕によってなにごとかを〔為しえたと〕考えるほど、己れ自身が十分に〔ふさわしい〕者であるというの
ではなく、むしろ私たちの十分〔な力〕は神からのものなのである。
470306そ
の神はまさに、私たちを新しい契約の奉仕者として、つまり文字の〔奉仕者〕ではなく霊の〔奉仕者〕として、十分に〔ふさわしい〕者と
して下さったのである。なぜならば、文字は〔人を〕殺し、霊は〔人を〕生かすからである。
470307さ
て、石に刻まれた文字に基づく死の奉仕〔でさえ〕も栄光のうちに為され、その結果イスラエルの子らが、モーセの顔の壊されゆく栄光の
ゆえに〔すら〕彼の顔を見つめることができなかったとするなら、
470308ど
うして霊の奉仕が、よりいっそう栄光のうちにあるものとならないことがあろうか。
470309な
ぜならば、〔人を〕断罪する奉仕に対して栄光が〔与えられる〕とするなら、義の奉仕はさらにいっそう、栄光に満ち溢れている〔はず
だ〕からである。
470310実
際、〔前者の〕点において栄光を受けたもの〔すなわちモーセ〕は、〔後者の〕よりまさった栄光のゆえに、栄光を受けていないことに
なってしまうのである。
470311壊
されゆくものが栄光をもって〔あった〕とするなら、永続するものはさらにいっそう、栄光のうちに〔ある〕からである。
470312そ
れゆえに私たちは、このような希望を抱きながら、大いなる大胆さをもって語っており、
470313そ
して、イスラエルの子らが壊されゆくものの最後を見つめることがないようにと、モーセが自分の顔に覆いをかけたようなことは、〔私た
ちはし〕ない。
470314し
かし、彼らの思いは頑なにされた。なぜならば、今日という日に至るまで、同じ覆いが古い契約の朗読の際に取り除かれずに残っているか
らである。というのも、それはキリストにあって〔はじめて〕壊されるのだからである。
新共 同訳1987
3:4
わたしたちは、キリストによってこのような確信を神の前で抱いています。
3:5
もちろん、独りで何かできるなどと思う資格が、自分にあるということではありません。わたしたちの資格は神から与えられたものです。
3:6
神はわたしたちに、新しい契約に仕える資格、文字ではなく霊に仕える資格を与えてくださいました。文字は殺しますが、霊は生かします。
3:7
ところで、石に刻まれた文字に基づいて死に仕える務めさえ栄光を帯びて、モーセの顔に輝いていたつかのまの栄光のために、イスラエルの子らが彼の顔を見つ
めえないほどであったとすれば、
3:8
霊に仕える務めは、なおさら、栄光を帯びているはずではありませんか。
3:9
人を罪に定める務めが栄光をまとっていたとすれば、人を義とする務めは、なおさら、栄光に満ちあふれています。
3:10
そして、かつて栄光を与えられたものも、この場合、はるかに優れた栄光のために、栄光が失われています。
3:11
なぜなら、消え去るべきものが栄光を帯びていたのなら、永続するものは、なおさら、栄光に包まれているはずだからです。
前田 訳1978
"470304","われらがこのような確信を持
つのは、キリストにより神に対してです。"
"470305","われらが自らしたかのよう
に、何ごとかを自ら判断する資格があるのではなく、われらの資格は神からのものです。"
"470306","神はわれらに新しい契約の奉
仕者の資格をお与えでした。それは文字のでなく霊の契約です。文字は殺し、霊は生かすからです。"
"470307","もし文字で石に彫られた死の
奉仕が栄光のうちになされ、イスラエルの子らがモーセの顔をその消え去るべき栄光のゆえに見つめることができなかったのならば、"
"470308","まして霊の奉仕ははるかにす
ぐれた栄光のうちになされるのではありませんか。"
"470309","もし処罰の奉仕が栄光なら
ば、まして義の奉仕ははるかに栄光にあふれるものです。"
"470310","かつて栄光を受けたものも、
このすぐれた栄光のために、この場合、栄光を受けません。"
"470311","過ぎゆくものに栄光があるな
らば、まして永続するものに、よりすぐれた栄光があるはずです。
新
改訳1970
3:4
私たちはキリストによって、神の御前でこういう確信を持っています。
3:5
何事かを自分のしたことと考える資格が私たち自身にあるというのではありません。私たちの資格は神からのものです。
3:6
神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格をくださいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者です。文字は殺し、御霊は生かすからです。
3:7
もし石に刻まれた文字による、死の務めにも栄光があって、モーセの顔の、やがて消え去る栄光のゆえにさえ、イスラエルの人々がモーセの顔を見つめることが
できなかったほどだとすれば、
3:8
まして、御霊の務めには、どれほどの栄光があることでしょう。
3:9
罪に定める務めに栄光があるのなら、義とする務めには、なおさら、栄光があふれるのです。
3:10
そして、かつて栄光を受けたものは、このばあい、さらにすぐれた栄光のゆえに、栄光のないものになっているからです。
3:11
もし消え去るべきものにも栄光があったのなら、永続するものには、なおさら栄光があるはずです。
塚
本訳1963
3:4
しかしわたし達がこんな(大きな)自信を持つのは、キリストを通してであり、神にたよってである。(神がキリストを通してわたし達を使徒に任じられたから
である。)
3:5
これは自分でことを考え出すような能力が自分にあるというのではない。わたし達の能力はみな神から来る。
3:6
神はわたし達に、新しい契約のための世話役、(すなわち古い契約にある律法の)文字のためではなく、(神の)霊のための世話役たる能力をお与えになったの
である。文字は殺すが、霊は命を与えるからである。
3:7
文字で石に彫られている(モーセ律法、すなわち)死をつげる役目でさえ栄光があったので、やがては無くなるものながら『モーセの顔の栄光』のゆえに、イス
ラエル[ヤコブ]の子孫はその顔を見つめることが出来なかったくらいである(という。そうである)なら、
3:8
まして(命を与える)霊の役目が、どうして栄光にかがやかないことがあろうか。
3:9
刑罰をさだめる役目でさえ栄光をもつくらいなら、義とする役目が栄光にあふれるばかりであるのは、なおさらだからである。
3:10
それどころか、(かっては古い契約によって)栄光を受けたものも、この点では、(新しい契約の)ぬきんでた栄光のまえに、(全く)『栄光』を受けなくなっ
ている、(と言うことが出来る。)
3:11
やがては無くなるものが栄光にかがやいたくらいなら、いつまでものこるものが栄光にかがやくのは、なおさらだからである。
口語
訳1955
3:4
こうした確信を、わたしたちはキリストにより神に対していだいている。
3:5
もちろん、自分自身で事を定める力が自分にある、と言うのではない。わたしたちのこうした力は、神からきている。
3:6
神はわたしたちに力を与えて、新しい契約に仕える者とされたのである。それは、文字に仕える者ではなく、霊に仕える者である。文字は人を殺し、霊は人を生
かす。
3:7
もし石に彫りつけた文字による死の務が栄光のうちに行われ、そのためイスラエルの子らは、モーセの顔の消え去るべき栄光のゆえに、その顔を見つめることが
できなかったとすれば、
3:8
まして霊の務は、はるかに栄光あるものではなかろうか。
3:9
もし罪を宣告する務が栄光あるものだとすれば、義を宣告する務は、はるかに栄光に満ちたものである。
3:10
そして、すでに栄光を受けたものも、この場合、はるかにまさった栄光のまえに、その栄光を失ったのである。
3:11
もし消え去るべきものが栄光をもって現れたのなら、まして永存すべきものは、もっと栄光のあるべきものである。
文語訳1917
3:4
我らはキリストにより、神に對して斯かる確信あり。
3:5
されど己は何事をも自ら定むるに足らず、定むるに足るは神によるなり。
3:6
神は我らを新約の役者となるに足らしめ給へり、儀文の役者にあらず、靈の役者なり。そは儀文は殺し、靈は活せばなり。
3:7
石に彫り書されたる死の法の職にも光榮ありて、イスラエルの子等はそのやがて消ゆべきモーセの顔の光榮を見つめ得ざりし程ならんには、
3:8
まして靈の職は光榮なからんや。
3:9
罪を定むる職もし光榮あらんには、まして義とする職は、光榮に溢れざらんや。
3:10
もと光榮ありし者も更に勝れる光榮に比ぶれば、光榮なき者となれり。
3:11
もし消ゆべき者に光榮ありしならんには、まして永存ふるものに光榮なからんや。
****************************************
各国聖書
引照編集
(独)NESTLE-ALAND
NOVUM TESTAMENTUM
GRAECE 27版1993 の
引照
新
共同 ロマ 15:18
15:18
キリストがわたしを通して働かれたこと以外は、あえて何も申しません。キリストは異邦人を神に従わせるために、わたしの言葉と行いを
通して、
新
共同 ルカ 22:20
22:20
食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。
新
共同 ヘブ 7:22
7:22
このようにして、イエスはいっそう優れた契約の保証となられたのです。
新
共同 ロマ 7:6
7:6
しかし今は、わたしたちは、自分を縛っていた律法に対して死んだ者となり、律法から解放されています。その結果、文字に従う古い生き
方ではなく、"霊"に従う新しい生き方で仕えるようになっているのです。
新
共同 Tコリ15:45
15:45
「最初の人アダムは命のある生き物となった」と書いてありますが、最後のアダムは命を与える霊となったのです。
新
共同 ロマ 1:17
1:17
福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。「正しい者は信仰によって生き
る」と書いてあるとおりです。
(英・米)THE
NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE 1982 の引照
口
語訳 Uコリ2:16
2:16
後者にとっては、死から死に至らせるかおりであり、前者にとっては、いのちからいのちに至らせるかおりである。いったい、このような
任務に、だれが耐え得ようか。
口
語訳 Tコリ15:10
15:10
しかし、神の恵みによって、わたしは今日あるを得ているのである。そして、わたしに賜わった神の恵みはむだにならず、むしろ、わたし
は彼らの中のだれよりも多く働いてきた。しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神の恵みである。
口
語訳 ピリ 2:13
2:13
あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。
口
語訳 ピリ 4:13
4:13
わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。
口
語訳 ロマ 2:27-29
2:27
かつ、生れながら無割礼の者であって律法を全うする者は、律法の文字と割礼とを持ちながら律法を犯しているあなたを、さばくのであ
る。
2:28
というのは、外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、外見上の肉における割礼が割礼でもない。
2:29
かえって、隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、また、文字によらず霊による心の割礼こそ割礼であって、そのほまれは人からではなく、神
から来るのである。
口
語訳 ロマ 7:6
7:6
しかし今は、わたしたちをつないでいたものに対して死んだので、わたしたちは律法から解放され、その結果、古い文字によってではな
く、新しい霊によって仕えているのである。
口
語訳 ロマ 4:15
4:15
いったい、律法は怒りを招くものであって、律法のないところには違反なるものはない。
口
語訳 ロマ 7:9-11
7:9
わたしはかつては、律法なしに生きていたが、戒めが来るに及んで、罪は生き返り、
7:10
わたしは死んだ。そして、いのちに導くべき戒めそのものが、かえってわたしを死に導いて行くことがわかった。
7:11
なぜなら、罪は戒めによって機会を捕え、わたしを欺き、戒めによってわたしを殺したからである。
口
語訳 ガラ 3:10-12
3:10
いったい、律法の行いによる者は、皆のろいの下にある。「律法の書に書いてあるいっさいのことを守らず、これを行わない者は、皆のろ
われる」と書いてあるからである。
3:11
そこで、律法によっては、神のみまえに義とされる者はひとりもないことが、明らかである。なぜなら、「信仰による義人は生きる」から
である。
3:12
律法は信仰に基いているものではない。かえって、「律法を行う者は律法によって生きる」のである。
口
語訳 ロマ 8:2
8:2
なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則は、罪と死との法則からあなたを解放したからである。
口
語訳 ガラ 5:4-6
5:4
律法によって義とされようとするあなたがたは、キリストから離れてしまっている。恵みから落ちている。
5:5
わたしたちは、御霊の助けにより、信仰によって義とされる望みを強くいだいている。
5:6
キリスト・イエスにあっては、割礼があってもなくても、問題ではない。尊いのは、愛によって働く信仰だけである。
口
語訳 ロマ 7:12-14
7:12
このようなわけで、律法そのものは聖なるものであり、戒めも聖であって、正しく、かつ善なるものである。
7:13
では、善なるものが、わたしにとって死となったのか。断じてそうではない。それはむしろ、罪の罪たることが現れるための、罪のしわざ
である。すなわち、罪は、戒めによって、はなはだしく悪性なものとなるために、善なるものによってわたしを死に至らせたのである。
7:14
わたしたちは、律法は霊的なものであると知っている。しかし、わたしは肉につける者であって、罪の下に売られているのである。
口
語訳 ロマ 10:4
10:4
キリストは、すべて信じる者に義を得させるために、律法の終りとなられたのである。
口
語訳 Uコリ4:16-18
4:16
だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。
4:17
なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。
4:18
わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。
口
語訳 Uコリ5:21
5:21
神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかたを罪とされた。それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるためなのである。
口
語訳 Uコリ8:9
8:9
あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っている。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくな
られた。それは、あなたがたが、彼の貧しさによって富む者になるためである。
口
語訳 Uコリ12:9-10
12:9
ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キ
リストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。
12:10
だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこ
そ、わたしは強いからである。
口
語訳 ロマ 5:20-21
5:20
律法がはいり込んできたのは、罪過の増し加わるためである。しかし、罪の増し加わったところには、恵みもますます満ちあふれた。
5:21
それは、罪が死によって支配するに至ったように、恵みもまた義によって支配し、わたしたちの主イエス・キリストにより、永遠のいのち
を得させるためである。
口
語訳 ロマ 8:32
8:32
ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜わらないこ
とがあろうか。
口
語訳 ロマ 1:16-17
1:16
わたしは福音を恥としない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救を得させる神の力である。
1:17
神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。これは、「信仰による義人は生きる」と書いてあるとおりである。
口
語訳 ロマ 3:21-22
3:21
しかし今や、神の義が、律法とは別に、しかも律法と預言者とによってあかしされて、現された。
3:22
それは、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えられるものである。そこにはなんらの差別もない。
(日)新共同訳1987の
引照
新
共同 エペ 3:12
3:12
わたしたちは主キリストに結ばれており、キリストに対する信仰により、確信をもって、大胆に神に近づくことができます。
新
共同 Tコリ15:10
15:10
神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっ
と多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。
新
共同 Tコリ11:25
11:25
また、食事の後で、杯も同じようにして、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念として
このように行いなさい」と言われました。
新
共同 ヘブ 8:8
8:8
事実、神はイスラエルの人々を非難して次のように言われています。「『見よ、わたしがイスラエルの家、またユダの家と、/新しい契約
を結ぶ時が来る』と、/主は言われる。
新
共同 ヘブ 9:15
9:15
こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者なのです。それは、最初の契約の下で犯された罪の贖いとして、キリストが死んでくだ
さったので、召された者たちが、既に約束されている永遠の財産を受け継ぐためにほかなりません。
新
共同 ヘブ 12:24
12:24
新しい契約の仲介者イエス、そして、アベルの血よりも立派に語る注がれた血です。
新
共同 Tコリ3:5
3:5
アポロとは何者か。また、パウロとは何者か。この二人は、あなたがたを信仰に導くためにそれぞれ主がお与えになった分に応じて仕えた
者です。
新
共同 ロマ 7:6
7:6
しかし今は、わたしたちは、自分を縛っていた律法に対して死んだ者となり、律法から解放されています。その結果、文字に従う古い生き
方ではなく、"霊"に従う新しい生き方で仕えるようになっているのです。
新
共同 ロマ 2:29
2:29
内面がユダヤ人である者こそユダヤ人であり、文字ではなく"霊"によって心に施された割礼こそ割礼なのです。その誉れは人からではな
く、神から来るのです。
新
共同 Uコリ3:3
3:3
あなたがたは、キリストがわたしたちを用いてお書きになった手紙として公にされています。墨ではなく生ける神の霊によって、石の板で
はなく人の心の板に、書きつけられた手紙です。
新
共同 Uコリ3:9
3:9
人を罪に定める務めが栄光をまとっていたとすれば、人を義とする務めは、なおさら、栄光に満ちあふれています。
新
共同 Uコリ3:13
3:13
モーセが、消え去るべきものの最後をイスラエルの子らに見られまいとして、自分の顔に覆いを掛けたようなことはしません。
新
共同 Uコリ3:7
3:7
ところで、石に刻まれた文字に基づいて死に仕える務めさえ栄光を帯びて、モーセの顔に輝いていたつかのまの栄光のために、イスラエル
の子らが彼の顔を見つめえないほどであったとすれば、
新
共同 ロマ 1:17
1:17
福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。「正しい者は信仰によって生き
る」と書いてあるとおりです。
新
共同 ロマ 3:21-22
3:21
ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。
3:22
すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。
(仏)THE NEW
JERUSALEM BIBLE 1985 の引照
口
語訳 Tコリ11:25
11:25
食事ののち、杯をも同じようにして言われた、「この杯は、わたしの血による新しい契約である。飲むたびに、わたしの記念として、この
ように行いなさい」。
口
語訳 エペ 3:7
3:7
わたしは、神の力がわたしに働いて、自分に与えられた神の恵みの賜物により、福音の僕とされたのである。
口
語訳 コロ 1:23-25
1:23
ただし、あなたがたは、ゆるぐことがなく、しっかりと信仰にふみとどまり、すでに聞いている福音の望みから移り行くことのないように
すべきである。この福音は、天の下にあるすべての造られたものに対して宣べ伝えられたものであって、それにこのパウロが奉仕している
のである。
1:24
今わたしは、あなたがたのための苦難を喜んで受けており、キリストのからだなる教会のために、キリストの苦しみのなお足りないところ
を、わたしの肉体をもって補っている。
1:25
わたしは、神の言を告げひろめる務を、あなたがたのために神から与えられているが、そのために教会に奉仕する者になっているのであ
る。
口
語訳 ヘブ 8:8
8:8
ところが、神は彼らを責めて言われた、/「主は言われる、見よ、/わたしがイスラエルの家およびユダの家と、/新しい契約を結ぶ日が
来る。
口
語訳 ロマ 2:29
2:29
かえって、隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、また、文字によらず霊による心の割礼こそ割礼であって、そのほまれは人からではなく、神
から来るのである。
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モーセの
ベールはわたし達にはない
翻訳比較
聖書協会共同訳2018
2コリ 3:12 このような希望を抱いているので、私たちは堂々と振る舞い、
2コリ
3:13 モーセが、やがて消え去るものの最後をイスラエルの子らに見られまいとして、顔に覆いを掛けたようなことはしません。
2コリ
3:14 彼らの心はかたくなにされたのです。今日に至るまで、古い契約が朗読されるときには、同じ覆いが除かれずに掛かったままです。それはキリストに
あって取り除かれるものだからです。
2コリ 3:15 実際、今日に至るまでモーセの書が朗読されるときは、いつでも彼らの心には覆いが掛かっています。
2コリ 3:16 しかし、人が主に向くならば、覆いは取り去られます。
2コリ 3:17 主は霊です。そして、主の霊のあるところには自由があります。
2コリ
3:18 私たちは皆、顔の覆いを除かれて、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに変えられていきます。これは主の霊の働
きによるのです。
フランシスコ会訳2013
012これほどの希望を抱いているので、わたしたちは大いに大胆に振る舞っており、
013また、消え去って行くものの最
後をイスラエルの子らに見られないようにと、モーセが自分の顔に覆いを掛けたようなことはしません。
014しかし、彼らの理解は鈍くなり
ました。実に、今日に至るまで、古い契約が朗読されるとき、その同じ覆いがまだ残っています。そこで、キリストにおいて古い契約が破
棄されたという事実が、覆いを取り除かれずに隠されているのです。
015確かに、今日に至るまで、モー
セの書が朗読される時はいつでも、彼らの心には覆いが掛かっています。
016しかし、主のほうに向き直るな
ら、その覆いは取り去られるのです。
017この主は霊であって、主の霊が
ある所には自由があります。
018顔の覆いを取り除かれて、わた
したちはみな、鏡のように主の栄光を映し出しながら、主の霊によって栄光から栄光へと、主と同じ姿へと変えられていくのです。
岩
波翻訳委員会訳1995
470312そ
れゆえに私たちは、このような希望を抱きながら、大いなる大胆さをもって語っており、
470313そ
して、イスラエルの子らが壊されゆくものの最後を見つめることがないようにと、モーセが自分の顔に覆いをかけたようなことは、〔私た
ちはし〕ない。
470314し
かし、彼らの思いは頑なにされた。なぜならば、今日という日に至るまで、同じ覆いが古い契約の朗読の際に取り除かれずに残っているか
らである。というのも、それはキリストにあって〔はじめて〕壊されるのだからである。
470315し
かし、今日に至るまで、モーセ〔の書〕が朗読される時はいつでも、覆いが彼らの心の上に横たわっている。
470316しかし、
〔人が〕主のほうに向き直るならば、いつでも覆いは取り上げられる。
470317主
は霊である。主の霊のあるところには、自由がある。
470318私
たちすべては、〔覆いを〕取り除かれた顔でもって、主の栄光を鏡に映し出〔すように〕しながら、栄光から栄光へと、主の霊によって、
〔主と〕同じ像に変えられていくのである。
新
共同訳1987
3:12
このような希望を抱いているので、わたしたちは確信に満ちあふれてふるまっており、
3:13
モーセが、消え去るべきものの最後をイスラエルの子らに見られまいとして、自分の顔に覆いを掛けたようなことはしません。
3:14
しかし、彼らの考えは鈍くなってしまいました。今日に至るまで、古い契約が読まれる際に、この覆いは除かれずに掛かったままなのです。それはキリストにお
いて取り除かれるものだからです。
3:15
このため、今日に至るまでモーセの書が読まれるときは、いつでも彼らの心には覆いが掛かっています。
3:16
しかし、主の方に向き直れば、覆いは取り去られます。
3:17
ここでいう主とは、"霊"のことですが、主の霊のおられるところに自由があります。
3:18
わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働き
によることです。
前
田訳1978
"470312","われらはこのような望みを持
つがゆえに、全くあからさまに語ります。"
"470313","われらは、モーセのようには
しません。彼は顔に覆いをかけて、イスラエルの子らが過ぎゆくものの終わりを見つめないようにしました。"
"470314","しかし彼らの考えはにぶくさ
れました。こんにちまで、旧い契約の朗読にあたって、この同じ覆いが残っていて、除かれていません。それはキリストによってはじめて
過ぎゆくものです。"
"470315","こんにちまで、モーセが朗読
されるとき、いつも覆いが彼らの心にかかっています。"
"470316","しかし主に帰るとき、いつも
覆いは除かれる。"
"470317","主は霊にいます。主の霊のあ
るところ、そこに自由があります。"
"470318","われらはみな覆いのない顔で
主の栄光を反映し、栄光から栄光へと、霊にいます主によって、彼と同じ像に変えられてゆきます。""
新
改訳1970
新改訳 Uコリ3:12-18
3:12
このような望みを持っているので、私たちはきわめて大胆に語ります。
3:13
そして、モーセが、消えうせるものの最後をイスラエルの人々に見せないように、顔におおいを掛けたようなことはしません。
3:14
しかし、イスラエルの人々の思いは鈍くなったのです。というのは、今日に至るまで、古い契約が朗読されるときに、同じおおいが掛けられたままで、取りのけ
られてはいません。なぜなら、それはキリストによって取り除かれるものだからです。
3:15
かえって、今日まで、モーセの書が朗読されるときはいつでも、彼らの心にはおおいが掛かっているのです。
3:16
しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。
3:17
主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。
3:18
私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはま
さに、御霊なる主の働きによるのです。
塚
本訳1963
3:12
わたし達はこんな(自信と)希望(と)を持っているのであるから、正正堂堂と振舞い、(福音の真理を説いて、)
3:13
『モーセ』のような(見苦しい)ことはしない。彼はやがては無くなるもの(栄光)の最後をイスラエルの子孫に見て取られまいと、『顔にベールをかけたので
ある。』
3:14
しかし(そのために、)彼らの考えは頑なにされてしまった。なぜなら、今日までも古い契約の朗読の時、同じベールが残っているからである。ベールは取り除
かれないままである。古い契約は(ただ)キリストにおいて無くなるものだからである。
3:15
いやむしろきょうまでモーセ(律法)が朗読される度毎に、ベールは彼らの心にかかって(いるので、そのほんとうの意味が隠されて)いる。
3:16
『しかし彼らの心が主に帰るならば、その時ベールは取り除かれる。』
3:17
(ここで)主(と)は御霊(のこと)である。主の御霊のあるところには自由が(あるから、ベールが取り除かれるので)ある。
3:18
そしてわたし達(主キリストを信ずる者)は皆、覆いを取られた顔で(直接)『主の栄光』を鏡にうつして拝見し、栄光から栄光に進み(つつ、ついに)主と同
じ(栄光の)姿に造りかえられる。御霊である主がなさるのであるから当然である。
口
語訳1955
3:12
こうした望みをいだいているので、わたしたちは思いきって大胆に語り、
3:13
そしてモーセが、消え去っていくものの最後をイスラエルの子らに見られまいとして、顔におおいをかけたようなことはしない。
3:14
実際、彼らの思いは鈍くなっていた。今日に至るまで、彼らが古い契約を朗読する場合、その同じおおいが取り去られないままで残っている。それは、キリスト
にあってはじめて取り除かれるのである。
3:15
今日に至るもなお、モーセの書が朗読されるたびに、おおいが彼らの心にかかっている。
3:16
しかし主に向く時には、そのおおいは取り除かれる。
3:17
主は霊である。そして、主の霊のあるところには、自由がある。
3:18
わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのであ
る。
文語訳1917
3:12
我らは斯くのごとき希望を有つゆゑに、更に臆せずして言ひ、
3:13
又モーセの如くせざるなり。彼は消ゆべき者の消えゆくをイスラエルの子らに見せぬために、面怕を顔におほひたり。
3:14
然れど彼らの心鈍くなれり。キリストによりて面怕の癈るべきを悟らねば、今日に至るまで舊約を讀む時その面怕なほ存れり。
3:15
今日に至るまでモーセの書を讀むとき、面怕は彼らの心のうへに置かれたり。
3:16
然れど主に歸する時、その面怕は取り除かるべし。
3:17
主は即ち御靈なり、主の御靈のある所には自由あり。
3:18
我等はみな面怕なくして、鏡に映るごとく主の光榮を見、榮光より榮光にすすみ、主たる御靈によりて主と同じ像に化するなり。
****************************************
各国聖書
引照編集
(独)NESTLE-ALAND
NOVUM TESTAMENTUM
GRAECE 27版1993 の
引照
新
共同 マコ 3:5
3:5
そこで、イエスは怒って人々を見回し、彼らのかたくなな心を悲しみながら、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。伸ばすと、手
は元どおりになった。
新
共同 使 15:21
15:21
モーセの律法は、昔からどの町にも告げ知らせる人がいて、安息日ごとに会堂で読まれているからです。」
新
共同 ヨハ 8:36
8:36
だから、もし子があなたたちを自由にすれば、あなたたちは本当に自由になる。
新
共同 Uコリ4:4
4:4
この世の神が、信じようとはしないこの人々の心の目をくらまし、神の似姿であるキリストの栄光に関する福音の光が見えないようにした
のです。
新
共同 ピリ 3:21
3:21
キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるの
です。
(英・米)THE
NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE 1982 の引照
口
語訳 Uコリ7:4
7:4
わたしはあなたがたを大いに信頼し、大いに誇っている。また、あふれるばかり
慰めを受け、あらゆる患難の中にあって喜びに満ちあふれている。
口
語訳 ロマ 10:4
10:4
キリストは、すべて信じる者に義を得させるために、律法の終りとなられたのである。
口
語訳 Uコリ4:3-4
4:3
もしわたしたちの福音がおおわれているなら、滅びる者どもにとっておおわれているのである。
4:4
彼らの場合、この世の神が不信の者たちの思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光の福音の輝きを、見えなくしているのであ
る。
口
語訳 ロマ 11:7-10
11:7
では、どうなるのか。イスラエルはその追い求めているものを得ないで、ただ選ばれた者が、それを得た。そして、他の者たちはかたくな
になった。
11:8
「神は、彼らに鈍い心と、/見えない目と、聞えない耳とを与えて、/きょう、この日に及んでいる」/と書いてあるとおりである。
11:9
ダビデもまた言っている、/「彼らの食卓は、彼らのわなとなれ、網となれ、/つまずきとなれ、報復となれ。
11:10
彼らの目は、くらんで見えなくなれ、/彼らの背は、いつまでも曲っておれ」。
口
語訳 Tコリ2:14
2:14
生れながらの人は、神の御霊の賜物を受けいれない。それは彼には愚かなものだからである。また、御霊によって判断されるべきであるか
ら、彼はそれを理解することができない。
口
語訳 ロマ 11:25-27
11:25
兄弟たちよ。あなたがたが知者だと自負することのないために、この奥義を知らないでいてもらいたくない。一部のイスラエル人がかたく
なになったのは、異邦人が全部救われるに至る時までのことであって、
11:26
こうして、イスラエル人は、すべて救われるであろう。すなわち、次のように書いてある、/「救う者がシオンからきて、/ヤコブから不
信心を追い払うであろう。
11:27
そして、これが、彼らの罪を除き去る時に、/彼らに対して立てるわたしの契約である」。
口
語訳 Tコリ15:45
15:45
聖書に「最初の人アダムは生きたものとなった」と書いてあるとおりである。しかし最後のアダムは命を与える霊となった。
口
語訳 ロマ 8:2
8:2
なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則は、罪と死との法則からあなたを解放したからである。
口
語訳 ガラ 4:6
4:6
このように、あなたがたは子であるのだから、神はわたしたちの心の中に、「アバ、父よ」と呼ぶ御子の霊を送って下さったのである。
口
語訳 Tコリ13:12
13:12
わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知る
ところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。
口
語訳 ロマ 8:29
8:29
神はあらかじめ知っておられる者たちを、更に御子のかたちに似たものとしようとして、あらかじめ定めて下さった。それは、御子を多く
の兄弟の中で長子とならせるためであった。
口
語訳 Tコリ6:17
6:17
しかし主につく者は、主と一つの霊になるのである。
(日)新共同訳1987の
引照
新
共同 エペ 6:19
6:19
また、わたしが適切な言葉を用いて話し、福音の神秘を大胆に示すことができるように、わたしのためにも祈ってください。
新
共同 Tテサ2:2
2:2
無駄ではなかったどころか、知ってのとおり、わたしたちは以前フィリピで苦しめられ、辱められたけれども、わたしたちの神に勇気づけ
られ、激しい苦闘の中であなたがたに神の福音を語ったのでした。
新
共同 ピレ 1:8
1:8
それで、わたしは、あなたのなすべきことを、キリストの名によって遠慮なく命じてもよいのですが、
新
共同 Uコリ3:7
3:7
ところで、石に刻まれた文字に基づいて死に仕える務めさえ栄光を帯びて、モーセの顔に輝いていたつかのまの栄光のために、イスラエル
の子らが彼の顔を見つめえないほどであったとすれば、
新
共同 ロマ 11:7-8
11:7
では、どうなのか。イスラエルは求めているものを得ないで、選ばれた者がそれを得たのです。他の者はかたくなにされたのです。
11:8
「神は、彼らに鈍い心、見えない目、/聞こえない耳を与えられた、今日に至るまで」と書いてあるとおりです。
新
共同 Uコリ4:4
4:4
この世の神が、信じようとはしないこの人々の心の目をくらまし、神の似姿であるキリストの栄光に関する福音の光が見えないようにした
のです。
新
共同 ロマ 11:23
11:23
彼らも、不信仰にとどまらないならば、接ぎ木されるでしょう。神は、彼らを再び接ぎ木することがおできになるのです。
新
共同 Uコリ3:18
3:18
わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきま
す。これは主の霊の働きによることです。
新
共同 ガラ 4:6
4:6
あなたがたが子であることは、神が、「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります。
新
共同 ガラ 5:1
5:1
この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつ
ながれてはなりません。
新
共同 ガラ 5:13
5:13
兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに
仕えなさい。
新
共同 Tコリ13:12
13:12
わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部
しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。
新
共同 Uコリ4:6
4:6
「闇から光が輝き出よ」と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくだ
さいました。
新
共同 Tヨハ3:2
3:2
愛する者たち、わたしたちは、今既に神の子ですが、自分がどのようになるかは、まだ示されていません。しかし、御子が現れるとき、御
子に似た者となるということを知っています。なぜなら、そのとき御子をありのままに見るからです。
新
共同 Uコリ3:17
3:17
ここでいう主とは、"霊"のことですが、主の霊のおられるところに自由があります。
(仏)THE NEW
JERUSALEM BIBLE 1985 の引照
口
語訳 ロマ 10:4
10:4
キリストは、すべて信じる者に義を得させるために、律法の終りとなられたのである。
口
語訳 ロマ 11:7-10
11:7
では、どうなるのか。イスラエルはその追い求めているものを得ないで、ただ選ばれた者が、それを得た。そして、他の者たちはかたくな
になった。
11:8
「神は、彼らに鈍い心と、/見えない目と、聞えない耳とを与えて、/きょう、この日に及んでいる」/と書いてあるとおりである。
11:9
ダビデもまた言っている、/「彼らの食卓は、彼らのわなとなれ、網となれ、/つまずきとなれ、報復となれ。
11:10
彼らの目は、くらんで見えなくなれ、/彼らの背は、いつまでも曲っておれ」。
口
語訳 ガラ 5:1
5:1
自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのである。だから、堅く立って、二度と奴隷のくびきにつながれてはな
らない。
口
語訳 ガラ 5:13
5:13
兄弟たちよ。あなたがたが召されたのは、実に、自由を得るためである。ただ、その自由を、肉の働く機会としないで、愛をもって互に仕
えなさい。
口
語訳 Uコリ4:6
4:6
「やみの中から光が照りいでよ」と仰せになった神は、キリストの顔に輝く神の栄光の知識を明らかにするために、わたしたちの心を照し
て下さったのである。
口
語訳 ロマ 8:29
8:29
神はあらかじめ知っておられる者たちを、更に御子のかたちに似たものとしようとして、あらかじめ定めて下さった。それは、御子を多く
の兄弟の中で長子とならせるためであった。
口
語訳 Tヨハ3:2
3:2
愛する者たちよ。わたしたちは今や神の子である。しかし、わたしたちがどうなるのか、まだ明らかではない。彼が現れる時、わたしたち
は、自分たちが彼に似るものとなることを知っている。そのまことの御姿を見るからである。
口
語訳 ロマ 1:16
1:16
わたしは福音を恥としない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救を得させる神の力である。
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