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第二コリント 3:1−3

わたし達のための推薦の手紙はあなた達

 

 

翻訳比較

 

岩波翻訳委員会訳1995

470301私たちは、再び自己推薦を始めているのだろうか。それとも私たちは、ある人たちのように、あなたがたに対する、あるいはあなたがたからの推薦の手紙を必要としているのであろうか。

470302私たちの〔推薦の〕手紙はあなたがた〔自身〕であり、それは、私たちの心のうちに書き〔刻ま〕れており、すべての人たちによって知られ、そして読まれているものである。

470303あなたがたが私たちの奉仕によって〔書かれた〕キリストの手紙であることは、〔すでに〕明らかにされている。〔しかもそれは、〕墨によってではなく、むしろ生ける神の霊によってのものであり、〔また〕石の板にではなく、むしろ肉の心の板に書き〔刻ま〕れている手紙である。

 

新共同訳1987

3:1 わたしたちは、またもや自分を推薦し始めているのでしょうか。それとも、ある人々のように、あなたがたへの推薦状、あるいはあなたがたからの推薦状が、わたしたちに必要なのでしょうか。

3:2 わたしたちの推薦状は、あなたがた自身です。それは、わたしたちの心に書かれており、すべての人々から知られ、読まれています。

3:3 あなたがたは、キリストがわたしたちを用いてお書きになった手紙として公にされています。墨ではなく生ける神の霊によって、石の板ではなく人の心の板に、書きつけられた手紙です。

 

前田訳1978

3:1 われらはまたもや自己推薦をはじめるのでしょうか。それとも、ある人々のように、あなた方への、またはあなた方からの推薦状がわれらに要るのですか。

3:2 われらの推薦状はあなた方自身で、われらの心に書かれており、すべての人に知られ、また朗読されています。

3:3 あなた方がわれらの奉仕によるキリストの手紙であり、墨によらず、生ける神の霊により、石の板にでなく、肉の心の板に書かれていることは明らかです。

 

新改訳1970

3:1 私たちはまたもや自分を推薦しようとしているのでしょうか。それとも、ある人々のように、あなたがたにあてた推薦状とか、あなたがたの推薦状とかが、私たちに必要なのでしょうか。

3:2 私たちの推薦状はあなたがたです。それは私たちの心にしるされていて、すべての人に知られ、また読まれているのです。

3:3 あなたがたが私たちの奉仕によるキリストの手紙であり、墨によってではなく、生ける神の御霊によって書かれ、石の板にではなく、人の心の板に書かれたものであることが明らかだからです。

 

塚本訳1963

3:1 (こう言えば、)わたし達はまたまた「自分を推薦し」始めた(と悪口を言われる)のであろうか。それともどこかの人たちのように、(エルサレム集会から)あなた達あての、あるいはあなた達からの推薦の手紙を、わたし達が必要とするとでもいうのか。

3:2 わたし達のための(推薦の)手紙はあなた達であり、わたし達の心に書き込まれており、皆の人に知られまた読まれている。

3:3 (実際)あなた達はわたし達によって配達されたキリストの手紙であって、インキでなく生ける神の霊で、また、(モーセ律法とは違い)『石の板』にではなく『人の心の板』に書かれていることが、知れ渡っているのである。

 

口語訳1955

3:1 わたしたちは、またもや、自己推薦をし始めているのだろうか。それとも、ある人々のように、あなたがたにあてた、あるいは、あなたがたからの推薦状が必要なのだろうか。

3:2 わたしたちの推薦状は、あなたがたなのである。それは、わたしたちの心にしるされていて、すべての人に知られ、かつ読まれている。

3:3 そして、あなたがたは自分自身が、わたしたちから送られたキリストの手紙であって、墨によらず生ける神の霊によって書かれ、石の板にではなく人の心の板に書かれたものであることを、はっきりとあらわしている。

 

文語訳1917

"470301","我等ふたたび己を薦め始めんや、また或人のごとく人の推薦の書を汝らに齎し、また汝等より受くることを要せんや。"

"470302","汝らは即ち我らの書にして我らの心に録され、又すべての人に知られ、かつ讀まるるなり。"

"470303","汝らは明かに我らの職によりて書かれたるキリストの書なり。而も墨にあらで活ける神の御靈にて録され、石碑にあらで心の肉碑に録されたるなり。"

 

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各国聖書引照編集

 

(独)NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 271993 の引照

新共同 Uコリ5:12

5:12 わたしたちは、あなたがたにもう一度自己推薦をしようというのではありません。ただ、内面ではなく、外面を誇っている人々に応じられるように、わたしたちのことを誇る機会をあなたがたに提供しているのです。

 

新共同 使  18:27

18:27 それから、アポロがアカイア州に渡ることを望んでいたので、兄弟たちはアポロを励まし、かの地の弟子たちに彼を歓迎してくれるようにと手紙を書いた。アポロはそこへ着くと、既に恵みによって信じていた人々を大いに助けた。

 

(英・米)THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE 1982 の引照

口語訳 Uコリ12:11

12:11 わたしは愚か者となった。あなたがたが、むりにわたしをそうしてしまったのだ。実際は、あなたがたから推薦されるべきであった。というのは、たといわたしは取るに足りない者だとしても、あの大使徒たちにはなんら劣るところがないからである。

 

口語訳 Tコリ9:1-2

9:1 わたしは自由な者ではないか。使徒ではないか。わたしたちの主イエスを見たではないか。あなたがたは、主にあるわたしの働きの実ではないか。

9:2 わたしは、ほかの人に対しては使徒でないとしても、あなたがたには使徒である。あなたがたが主にあることは、わたしの使徒職の印なのである。

 

口語訳 Tコリ3:5-10

3:5 アポロは、いったい、何者か。また、パウロは何者か。あなたがたを信仰に導いた人にすぎない。しかもそれぞれ、主から与えられた分に応じて仕えているのである。

3:6 わたしは植え、アポロは水をそそいだ。しかし成長させて下さるのは、神である。

3:7 だから、植える者も水をそそぐ者も、ともに取るに足りない。大事なのは、成長させて下さる神のみである。

3:8 植える者と水をそそぐ者とは一つであって、それぞれその働きに応じて報酬を得るであろう。

3:9 わたしたちは神の同労者である。あなたがたは神の畑であり、神の建物である。

3:10 神から賜わった恵みによって、わたしは熟練した建築師のように、土台をすえた。そして他の人がその上に家を建てるのである。しかし、どういうふうに建てるか、それぞれ気をつけるがよい。

 

(日)新共同訳1987の引照

新共同 Uコリ5:12

5:12 わたしたちは、あなたがたにもう一度自己推薦をしようというのではありません。ただ、内面ではなく、外面を誇っている人々に応じられるように、わたしたちのことを誇る機会をあなたがたに提供しているのです。

 

新共同 Uコリ10:12

10:12 わたしたちは、自己推薦する者たちと自分を同列に置いたり、比較したりしようなどとは思いません。彼らは仲間どうしで評価し合い、比較し合っていますが、愚かなことです。

 

新共同 Uコリ10:18

10:18 自己推薦する者ではなく、主から推薦される人こそ、適格者として受け入れられるのです。

 

新共同 Uコリ12:11

12:11 わたしは愚か者になってしまいました。あなたがたが無理にそうさせたのです。わたしが、あなたがたから推薦してもらうべきだったのです。わたしは、たとえ取るに足りない者だとしても、あの大使徒たちに比べて少しも引けは取らなかったからです。

 

新共同 ロマ 16:1

16:1 ケンクレアイの教会の奉仕者でもある、わたしたちの姉妹フェベを紹介します。

 

新共同 Tコリ16:3

16:3 そちらに着いたら、あなたがたから承認された人たちに手紙を持たせて、その贈り物を届けにエルサレムに行かせましょう。

 

新共同 Tコリ9:2

9:2 他の人たちにとってわたしは使徒でないにしても、少なくともあなたがたにとっては使徒なのです。あなたがたは主に結ばれており、わたしが使徒であることの生きた証拠だからです。

 

新共同 Uコリ3:6-7

3:6 神はわたしたちに、新しい契約に仕える資格、文字ではなく霊に仕える資格を与えてくださいました。文字は殺しますが、霊は生かします。

3:7 ところで、石に刻まれた文字に基づいて死に仕える務めさえ栄光を帯びて、モーセの顔に輝いていたつかのまの栄光のために、イスラエルの子らが彼の顔を見つめえないほどであったとすれば、

 

新共同 ヘブ 8:10

8:10 『それらの日の後、わたしが/イスラエルの家と結ぶ契約はこれである』と、/主は言われる。『すなわち、わたしの律法を彼らの思いに置き、/彼らの心にそれを書きつけよう。わたしは彼らの神となり、/彼らはわたしの民となる。

 

(仏)THE NEW JERUSALEM BIBLE 1985 の引照

口語訳 Uコリ5:12

5:12 わたしたちは、あなたがたに対して、またもや自己推薦をしようとするのではない。ただわたしたちを誇る機会を、あなたがたに持たせ、心を誇るのではなくうわべだけを誇る人々に答えうるようにさせたいのである。

 

口語訳 Uコリ10:12-13

10:12 わたしたちは、自己推薦をするような人々と自分を同列においたり比較したりはしない。彼らは仲間同志で互にはかり合ったり、互に比べ合ったりしているが、知恵のないしわざである。

10:13 しかし、わたしたちは限度をこえて誇るようなことはしない。むしろ、神が割り当てて下さった地域の限度内で誇るにすぎない。わたしはその限度にしたがって、あなたがたの所まで行ったのである。

 

口語訳 Uコリ11:18-19

11:18 多くの人が肉によって誇っているから、わたしも誇ろう。

11:19 あなたがたは賢い人たちなのだから、喜んで愚か者を忍んでくれるだろう。

 

口語訳 Tコリ9:2

9:2 わたしは、ほかの人に対しては使徒でないとしても、あなたがたには使徒である。あなたがたが主にあることは、わたしの使徒職の印なのである。

 

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第二コリント 3:4−11

新しい契約ははるかにまさる

 

 

翻訳比較

 

岩波翻訳委員会訳1995

470304つまり、私たちはキリストをとおして、神に対するこのようなたしかな思いをもっている。

470305〔しかし〕私たちが、己れ自身〔の力〕によってなにごとかを〔為しえたと〕考えるほど、己れ自身が十分に〔ふさわしい〕者であるというのではなく、むしろ私たちの十分〔な力〕は神からのものなのである。

470306その神はまさに、私たちを新しい契約の奉仕者として、つまり文字の〔奉仕者〕ではなく霊の〔奉仕者〕として、十分に〔ふさわしい〕者として下さったのである。なぜならば、文字は〔人を〕殺し、霊は〔人を〕生かすからである。

470307さて、石に刻まれた文字に基づく死の奉仕〔でさえ〕も栄光のうちに為され、その結果イスラエルの子らが、モーセの顔の壊されゆく栄光のゆえに〔すら〕彼の顔を見つめることができなかったとするなら、

470308どうして霊の奉仕が、よりいっそう栄光のうちにあるものとならないことがあろうか。

470309なぜならば、〔人を〕断罪する奉仕に対して栄光が〔与えられる〕とするなら、義の奉仕はさらにいっそう、栄光に満ち溢れている〔はずだ〕からである。

470310実際、〔前者の〕点において栄光を受けたもの〔すなわちモーセ〕は、〔後者の〕よりまさった栄光のゆえに、栄光を受けていないことになってしまうのである。

470311壊されゆくものが栄光をもって〔あった〕とするなら、永続するものはさらにいっそう、栄光のうちに〔ある〕からである。

470312それゆえに私たちは、このような希望を抱きながら、大いなる大胆さをもって語っており、

470313そして、イスラエルの子らが壊されゆくものの最後を見つめることがないようにと、モーセが自分の顔に覆いをかけたようなことは、〔私たちはし〕ない。

470314しかし、彼らの思いは頑なにされた。なぜならば、今日という日に至るまで、同じ覆いが古い契約の朗読の際に取り除かれずに残っているからである。というのも、それはキリストにあって〔はじめて〕壊されるのだからである。

 

 

新共同訳1987

3:4 わたしたちは、キリストによってこのような確信を神の前で抱いています。

3:5 もちろん、独りで何かできるなどと思う資格が、自分にあるということではありません。わたしたちの資格は神から与えられたものです。

3:6 神はわたしたちに、新しい契約に仕える資格、文字ではなく霊に仕える資格を与えてくださいました。文字は殺しますが、霊は生かします。

3:7 ところで、石に刻まれた文字に基づいて死に仕える務めさえ栄光を帯びて、モーセの顔に輝いていたつかのまの栄光のために、イスラエルの子らが彼の顔を見つめえないほどであったとすれば、

3:8 霊に仕える務めは、なおさら、栄光を帯びているはずではありませんか。

3:9 人を罪に定める務めが栄光をまとっていたとすれば、人を義とする務めは、なおさら、栄光に満ちあふれています。

3:10 そして、かつて栄光を与えられたものも、この場合、はるかに優れた栄光のために、栄光が失われています。

3:11 なぜなら、消え去るべきものが栄光を帯びていたのなら、永続するものは、なおさら、栄光に包まれているはずだからです。

 

 

前田訳1978

"470304","われらがこのような確信を持つのは、キリストにより神に対してです。"

"470305","われらが自らしたかのように、何ごとかを自ら判断する資格があるのではなく、われらの資格は神からのものです。"

"470306","神はわれらに新しい契約の奉仕者の資格をお与えでした。それは文字のでなく霊の契約です。文字は殺し、霊は生かすからです。"

"470307","もし文字で石に彫られた死の奉仕が栄光のうちになされ、イスラエルの子らがモーセの顔をその消え去るべき栄光のゆえに見つめることができなかったのならば、"

"470308","まして霊の奉仕ははるかにすぐれた栄光のうちになされるのではありませんか。"

"470309","もし処罰の奉仕が栄光ならば、まして義の奉仕ははるかに栄光にあふれるものです。"

"470310","かつて栄光を受けたものも、このすぐれた栄光のために、この場合、栄光を受けません。"

"470311","過ぎゆくものに栄光があるならば、まして永続するものに、よりすぐれた栄光があるはずです。

 

新改訳1970

3:4 私たちはキリストによって、神の御前でこういう確信を持っています。

3:5 何事かを自分のしたことと考える資格が私たち自身にあるというのではありません。私たちの資格は神からのものです。

3:6 神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格をくださいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者です。文字は殺し、御霊は生かすからです。

3:7 もし石に刻まれた文字による、死の務めにも栄光があって、モーセの顔の、やがて消え去る栄光のゆえにさえ、イスラエルの人々がモーセの顔を見つめることができなかったほどだとすれば、

3:8 まして、御霊の務めには、どれほどの栄光があることでしょう。

3:9 罪に定める務めに栄光があるのなら、義とする務めには、なおさら、栄光があふれるのです。

3:10 そして、かつて栄光を受けたものは、このばあい、さらにすぐれた栄光のゆえに、栄光のないものになっているからです。

3:11 もし消え去るべきものにも栄光があったのなら、永続するものには、なおさら栄光があるはずです。

 

 

塚本訳1963

3:4 しかしわたし達がこんな(大きな)自信を持つのは、キリストを通してであり、神にたよってである。(神がキリストを通してわたし達を使徒に任じられたからである。)

3:5 これは自分でことを考え出すような能力が自分にあるというのではない。わたし達の能力はみな神から来る。

3:6 神はわたし達に、新しい契約のための世話役、(すなわち古い契約にある律法の)文字のためではなく、(神の)霊のための世話役たる能力をお与えになったのである。文字は殺すが、霊は命を与えるからである。

3:7 文字で石に彫られている(モーセ律法、すなわち)死をつげる役目でさえ栄光があったので、やがては無くなるものながら『モーセの顔の栄光』のゆえに、イスラエル[ヤコブ]の子孫はその顔を見つめることが出来なかったくらいである(という。そうである)なら、

3:8 まして(命を与える)霊の役目が、どうして栄光にかがやかないことがあろうか。

3:9 刑罰をさだめる役目でさえ栄光をもつくらいなら、義とする役目が栄光にあふれるばかりであるのは、なおさらだからである。

3:10 それどころか、(かっては古い契約によって)栄光を受けたものも、この点では、(新しい契約の)ぬきんでた栄光のまえに、(全く)『栄光』を受けなくなっている、(と言うことが出来る。)

3:11 やがては無くなるものが栄光にかがやいたくらいなら、いつまでものこるものが栄光にかがやくのは、なおさらだからである。

 

 

口語訳1955

3:4 こうした確信を、わたしたちはキリストにより神に対していだいている。

3:5 もちろん、自分自身で事を定める力が自分にある、と言うのではない。わたしたちのこうした力は、神からきている。

3:6 神はわたしたちに力を与えて、新しい契約に仕える者とされたのである。それは、文字に仕える者ではなく、霊に仕える者である。文字は人を殺し、霊は人を生かす。

3:7 もし石に彫りつけた文字による死の務が栄光のうちに行われ、そのためイスラエルの子らは、モーセの顔の消え去るべき栄光のゆえに、その顔を見つめることができなかったとすれば、

3:8 まして霊の務は、はるかに栄光あるものではなかろうか。

3:9 もし罪を宣告する務が栄光あるものだとすれば、義を宣告する務は、はるかに栄光に満ちたものである。

3:10 そして、すでに栄光を受けたものも、この場合、はるかにまさった栄光のまえに、その栄光を失ったのである。

3:11 もし消え去るべきものが栄光をもって現れたのなら、まして永存すべきものは、もっと栄光のあるべきものである。

 

 

文語訳1917

3:4 我らはキリストにより、神に對して斯かる確信あり。

3:5 されど己は何事をも自ら定むるに足らず、定むるに足るは神によるなり。

3:6 神は我らを新約の役者となるに足らしめ給へり、儀文の役者にあらず、靈の役者なり。そは儀文は殺し、靈は活せばなり。

3:7 石に彫り書されたる死の法の職にも光榮ありて、イスラエルの子等はそのやがて消ゆべきモーセの顔の光榮を見つめ得ざりし程ならんには、

3:8 まして靈の職は光榮なからんや。

3:9 罪を定むる職もし光榮あらんには、まして義とする職は、光榮に溢れざらんや。

3:10 もと光榮ありし者も更に勝れる光榮に比ぶれば、光榮なき者となれり。

3:11 もし消ゆべき者に光榮ありしならんには、まして永存ふるものに光榮なからんや。

 

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各国聖書引照編集

 

(独)NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 271993 の引照

新共同 ロマ 15:18

15:18 キリストがわたしを通して働かれたこと以外は、あえて何も申しません。キリストは異邦人を神に従わせるために、わたしの言葉と行いを通して、

 

新共同 ルカ 22:20

22:20 食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。

 

新共同 ヘブ 7:22

7:22 このようにして、イエスはいっそう優れた契約の保証となられたのです。

 

新共同 ロマ 7:6

7:6 しかし今は、わたしたちは、自分を縛っていた律法に対して死んだ者となり、律法から解放されています。その結果、文字に従う古い生き方ではなく、"霊"に従う新しい生き方で仕えるようになっているのです。

 

新共同 Tコリ15:45

15:45 「最初の人アダムは命のある生き物となった」と書いてありますが、最後のアダムは命を与える霊となったのです。

 

新共同 ロマ 1:17

1:17 福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。「正しい者は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。

 

(英・米)THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE 1982 の引照

口語訳 Uコリ2:16

2:16 後者にとっては、死から死に至らせるかおりであり、前者にとっては、いのちからいのちに至らせるかおりである。いったい、このような任務に、だれが耐え得ようか。

 

口語訳 Tコリ15:10

15:10 しかし、神の恵みによって、わたしは今日あるを得ているのである。そして、わたしに賜わった神の恵みはむだにならず、むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきた。しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神の恵みである。

 

口語訳 ピリ 2:13

2:13 あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。

 

口語訳 ピリ 4:13

4:13 わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。

 

口語訳 ロマ 2:27-29

2:27 かつ、生れながら無割礼の者であって律法を全うする者は、律法の文字と割礼とを持ちながら律法を犯しているあなたを、さばくのである。

2:28 というのは、外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、外見上の肉における割礼が割礼でもない。

2:29 かえって、隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、また、文字によらず霊による心の割礼こそ割礼であって、そのほまれは人からではなく、神から来るのである。

 

口語訳 ロマ 7:6

7:6 しかし今は、わたしたちをつないでいたものに対して死んだので、わたしたちは律法から解放され、その結果、古い文字によってではなく、新しい霊によって仕えているのである。

 

口語訳 ロマ 4:15

4:15 いったい、律法は怒りを招くものであって、律法のないところには違反なるものはない。

 

口語訳 ロマ 7:9-11

7:9 わたしはかつては、律法なしに生きていたが、戒めが来るに及んで、罪は生き返り、

7:10 わたしは死んだ。そして、いのちに導くべき戒めそのものが、かえってわたしを死に導いて行くことがわかった。

7:11 なぜなら、罪は戒めによって機会を捕え、わたしを欺き、戒めによってわたしを殺したからである。

 

口語訳 ガラ 3:10-12

3:10 いったい、律法の行いによる者は、皆のろいの下にある。「律法の書に書いてあるいっさいのことを守らず、これを行わない者は、皆のろわれる」と書いてあるからである。

3:11 そこで、律法によっては、神のみまえに義とされる者はひとりもないことが、明らかである。なぜなら、「信仰による義人は生きる」からである。

3:12 律法は信仰に基いているものではない。かえって、「律法を行う者は律法によって生きる」のである。

 

口語訳 ロマ 8:2

8:2 なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則は、罪と死との法則からあなたを解放したからである。

 

口語訳 ガラ 5:4-6

5:4 律法によって義とされようとするあなたがたは、キリストから離れてしまっている。恵みから落ちている。

5:5 わたしたちは、御霊の助けにより、信仰によって義とされる望みを強くいだいている。

5:6 キリスト・イエスにあっては、割礼があってもなくても、問題ではない。尊いのは、愛によって働く信仰だけである。

 

口語訳 ロマ 7:12-14

7:12 このようなわけで、律法そのものは聖なるものであり、戒めも聖であって、正しく、かつ善なるものである。

7:13 では、善なるものが、わたしにとって死となったのか。断じてそうではない。それはむしろ、罪の罪たることが現れるための、罪のしわざである。すなわち、罪は、戒めによって、はなはだしく悪性なものとなるために、善なるものによってわたしを死に至らせたのである。

7:14 わたしたちは、律法は霊的なものであると知っている。しかし、わたしは肉につける者であって、罪の下に売られているのである。

 

口語訳 ロマ 10:4

10:4 キリストは、すべて信じる者に義を得させるために、律法の終りとなられたのである。

 

口語訳 Uコリ4:16-18

4:16 だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。

4:17 なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。

4:18 わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。

 

口語訳 Uコリ5:21

5:21 神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかたを罪とされた。それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるためなのである。

 

口語訳 Uコリ8:9

8:9 あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っている。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、あなたがたが、彼の貧しさによって富む者になるためである。

 

口語訳 Uコリ12:9-10

12:9 ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。

12:10 だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。

 

口語訳 ロマ 5:20-21

5:20 律法がはいり込んできたのは、罪過の増し加わるためである。しかし、罪の増し加わったところには、恵みもますます満ちあふれた。

5:21 それは、罪が死によって支配するに至ったように、恵みもまた義によって支配し、わたしたちの主イエス・キリストにより、永遠のいのちを得させるためである。

 

口語訳 ロマ 8:32

8:32 ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか。

 

口語訳 ロマ 1:16-17

1:16 わたしは福音を恥としない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救を得させる神の力である。

1:17 神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。これは、「信仰による義人は生きる」と書いてあるとおりである。

 

口語訳 ロマ 3:21-22

3:21 しかし今や、神の義が、律法とは別に、しかも律法と預言者とによってあかしされて、現された。

3:22 それは、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えられるものである。そこにはなんらの差別もない。

 

(日)新共同訳1987の引照

新共同 エペ 3:12

3:12 わたしたちは主キリストに結ばれており、キリストに対する信仰により、確信をもって、大胆に神に近づくことができます。

 

新共同 Tコリ15:10

15:10 神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。

 

新共同 Tコリ11:25

11:25 また、食事の後で、杯も同じようにして、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。

 

新共同 ヘブ 8:8

8:8 事実、神はイスラエルの人々を非難して次のように言われています。「『見よ、わたしがイスラエルの家、またユダの家と、/新しい契約を結ぶ時が来る』と、/主は言われる。

 

新共同 ヘブ 9:15

9:15 こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者なのです。それは、最初の契約の下で犯された罪の贖いとして、キリストが死んでくださったので、召された者たちが、既に約束されている永遠の財産を受け継ぐためにほかなりません。

 

新共同 ヘブ 12:24

12:24 新しい契約の仲介者イエス、そして、アベルの血よりも立派に語る注がれた血です。

 

新共同 Tコリ3:5

3:5 アポロとは何者か。また、パウロとは何者か。この二人は、あなたがたを信仰に導くためにそれぞれ主がお与えになった分に応じて仕えた者です。

 

新共同 ロマ 7:6

7:6 しかし今は、わたしたちは、自分を縛っていた律法に対して死んだ者となり、律法から解放されています。その結果、文字に従う古い生き方ではなく、"霊"に従う新しい生き方で仕えるようになっているのです。

 

新共同 ロマ 2:29

2:29 内面がユダヤ人である者こそユダヤ人であり、文字ではなく"霊"によって心に施された割礼こそ割礼なのです。その誉れは人からではなく、神から来るのです。

 

新共同 Uコリ3:3

3:3 あなたがたは、キリストがわたしたちを用いてお書きになった手紙として公にされています。墨ではなく生ける神の霊によって、石の板ではなく人の心の板に、書きつけられた手紙です。

 

新共同 Uコリ3:9

3:9 人を罪に定める務めが栄光をまとっていたとすれば、人を義とする務めは、なおさら、栄光に満ちあふれています。

 

新共同 Uコリ3:13

3:13 モーセが、消え去るべきものの最後をイスラエルの子らに見られまいとして、自分の顔に覆いを掛けたようなことはしません。

 

新共同 Uコリ3:7

3:7 ところで、石に刻まれた文字に基づいて死に仕える務めさえ栄光を帯びて、モーセの顔に輝いていたつかのまの栄光のために、イスラエルの子らが彼の顔を見つめえないほどであったとすれば、

 

新共同 ロマ 1:17

1:17 福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。「正しい者は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。

 

新共同 ロマ 3:21-22

3:21 ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。

3:22 すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。

 

(仏)THE NEW JERUSALEM BIBLE 1985 の引照

口語訳 Tコリ11:25

11:25 食事ののち、杯をも同じようにして言われた、「この杯は、わたしの血による新しい契約である。飲むたびに、わたしの記念として、このように行いなさい」。

 

口語訳 エペ 3:7

3:7 わたしは、神の力がわたしに働いて、自分に与えられた神の恵みの賜物により、福音の僕とされたのである。

 

口語訳 コロ 1:23-25

1:23 ただし、あなたがたは、ゆるぐことがなく、しっかりと信仰にふみとどまり、すでに聞いている福音の望みから移り行くことのないようにすべきである。この福音は、天の下にあるすべての造られたものに対して宣べ伝えられたものであって、それにこのパウロが奉仕しているのである。

1:24 今わたしは、あなたがたのための苦難を喜んで受けており、キリストのからだなる教会のために、キリストの苦しみのなお足りないところを、わたしの肉体をもって補っている。

1:25 わたしは、神の言を告げひろめる務を、あなたがたのために神から与えられているが、そのために教会に奉仕する者になっているのである。

 

口語訳 ヘブ 8:8

8:8 ところが、神は彼らを責めて言われた、/「主は言われる、見よ、/わたしがイスラエルの家およびユダの家と、/新しい契約を結ぶ日が来る。

 

口語訳 ロマ 2:29

2:29 かえって、隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、また、文字によらず霊による心の割礼こそ割礼であって、そのほまれは人からではなく、神から来るのである。

 

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第二コリント 3:12−18

モーセのベールはわたし達にはない

 

 

翻訳比較

 

岩波翻訳委員会訳1995

470312それゆえに私たちは、このような希望を抱きながら、大いなる大胆さをもって語っており、

470313そして、イスラエルの子らが壊されゆくものの最後を見つめることがないようにと、モーセが自分の顔に覆いをかけたようなことは、〔私たちはし〕ない。

470314しかし、彼らの思いは頑なにされた。なぜならば、今日という日に至るまで、同じ覆いが古い契約の朗読の際に取り除かれずに残っているからである。というのも、それはキリストにあって〔はじめて〕壊されるのだからである。

470315しかし、今日に至るまで、モーセ〔の書〕が朗読される時はいつでも、覆いが彼らの心の上に横たわっている。

470316しかし、〔人が〕主のほうに向き直るならばいつでも覆いは取り上げられる

470317主は霊である。主の霊のあるところには、自由がある。

470318私たちすべては、〔覆いを〕取り除かれた顔でもって、主の栄光を鏡に映し出〔すように〕しながら、栄光から栄光へと、主の霊によって、〔主と〕同じ像に変えられていくのである。

 

 

新共同訳1987

3:12 このような希望を抱いているので、わたしたちは確信に満ちあふれてふるまっており、

3:13 モーセが、消え去るべきものの最後をイスラエルの子らに見られまいとして、自分の顔に覆いを掛けたようなことはしません。

3:14 しかし、彼らの考えは鈍くなってしまいました。今日に至るまで、古い契約が読まれる際に、この覆いは除かれずに掛かったままなのです。それはキリストにおいて取り除かれるものだからです。

3:15 このため、今日に至るまでモーセの書が読まれるときは、いつでも彼らの心には覆いが掛かっています。

3:16 しかし、主の方に向き直れば、覆いは取り去られます。

3:17 ここでいう主とは、"霊"のことですが、主の霊のおられるところに自由があります。

3:18 わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。

 

前田訳1978

"470312","われらはこのような望みを持つがゆえに、全くあからさまに語ります。"

"470313","われらは、モーセのようにはしません。彼は顔に覆いをかけて、イスラエルの子らが過ぎゆくものの終わりを見つめないようにしました。"

"470314","しかし彼らの考えはにぶくされました。こんにちまで、旧い契約の朗読にあたって、この同じ覆いが残っていて、除かれていません。それはキリストによってはじめて過ぎゆくものです。"

"470315","こんにちまで、モーセが朗読されるとき、いつも覆いが彼らの心にかかっています。"

"470316","しかし主に帰るとき、いつも覆いは除かれる。"

"470317","主は霊にいます。主の霊のあるところ、そこに自由があります。"

"470318","われらはみな覆いのない顔で主の栄光を反映し、栄光から栄光へと、霊にいます主によって、彼と同じ像に変えられてゆきます。""

 

新改訳1970

新改訳 Uコリ3:12-18

3:12 このような望みを持っているので、私たちはきわめて大胆に語ります。

3:13 そして、モーセが、消えうせるものの最後をイスラエルの人々に見せないように、顔におおいを掛けたようなことはしません。

3:14 しかし、イスラエルの人々の思いは鈍くなったのです。というのは、今日に至るまで、古い契約が朗読されるときに、同じおおいが掛けられたままで、取りのけられてはいません。なぜなら、それはキリストによって取り除かれるものだからです。

3:15 かえって、今日まで、モーセの書が朗読されるときはいつでも、彼らの心にはおおいが掛かっているのです。

3:16 しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。

3:17 主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。

3:18 私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。

 

 

塚本訳1963

3:12 わたし達はこんな(自信と)希望(と)を持っているのであるから、正正堂堂と振舞い、(福音の真理を説いて、)

3:13 『モーセ』のような(見苦しい)ことはしない。彼はやがては無くなるもの(栄光)の最後をイスラエルの子孫に見て取られまいと、『顔にベールをかけたのである。』

3:14 しかし(そのために、)彼らの考えは頑なにされてしまった。なぜなら、今日までも古い契約の朗読の時、同じベールが残っているからである。ベールは取り除かれないままである。古い契約は(ただ)キリストにおいて無くなるものだからである。

3:15 いやむしろきょうまでモーセ(律法)が朗読される度毎に、ベールは彼らの心にかかって(いるので、そのほんとうの意味が隠されて)いる。

3:16 『しかし彼らの心が主に帰るならば、その時ベールは取り除かれる。』

3:17 (ここで)主(と)は御霊(のこと)である。主の御霊のあるところには自由が(あるから、ベールが取り除かれるので)ある。

3:18 そしてわたし達(主キリストを信ずる者)は皆、覆いを取られた顔で(直接)『主の栄光』を鏡にうつして拝見し、栄光から栄光に進み(つつ、ついに)主と同じ(栄光の)姿に造りかえられる。御霊である主がなさるのであるから当然である。

 

 

口語訳1955

3:12 こうした望みをいだいているので、わたしたちは思いきって大胆に語り、

3:13 そしてモーセが、消え去っていくものの最後をイスラエルの子らに見られまいとして、顔におおいをかけたようなことはしない。

3:14 実際、彼らの思いは鈍くなっていた。今日に至るまで、彼らが古い契約を朗読する場合、その同じおおいが取り去られないままで残っている。それは、キリストにあってはじめて取り除かれるのである。

3:15 今日に至るもなお、モーセの書が朗読されるたびに、おおいが彼らの心にかかっている。

3:16 しかし主に向く時には、そのおおいは取り除かれる。

3:17 主は霊である。そして、主の霊のあるところには、自由がある。

3:18 わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである。

 

 

文語訳1917

3:12 我らは斯くのごとき希望を有つゆゑに、更に臆せずして言ひ、

3:13 又モーセの如くせざるなり。彼は消ゆべき者の消えゆくをイスラエルの子らに見せぬために、面怕を顔におほひたり。

3:14 然れど彼らの心鈍くなれり。キリストによりて面怕の癈るべきを悟らねば、今日に至るまで舊約を讀む時その面怕なほ存れり。

3:15 今日に至るまでモーセの書を讀むとき、面怕は彼らの心のうへに置かれたり。

3:16 然れど主に歸する時、その面怕は取り除かるべし。

3:17 主は即ち御靈なり、主の御靈のある所には自由あり。

3:18 我等はみな面怕なくして、鏡に映るごとく主の光榮を見、榮光より榮光にすすみ、主たる御靈によりて主と同じ像に化するなり。

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各国聖書引照編集

 

(独)NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 271993 の引照

新共同 マコ 3:5

3:5 そこで、イエスは怒って人々を見回し、彼らのかたくなな心を悲しみながら、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。伸ばすと、手は元どおりになった。

 

新共同 使  15:21

15:21 モーセの律法は、昔からどの町にも告げ知らせる人がいて、安息日ごとに会堂で読まれているからです。」

 

新共同 ヨハ 8:36

8:36 だから、もし子があなたたちを自由にすれば、あなたたちは本当に自由になる。

 

新共同 Uコリ4:4

4:4 この世の神が、信じようとはしないこの人々の心の目をくらまし、神の似姿であるキリストの栄光に関する福音の光が見えないようにしたのです。

 

新共同 ピリ 3:21

3:21 キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。

 

(英・米)THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE 1982 の引照

口語訳 Uコリ7:4

7:4 わたしはあなたがたを大いに信頼し、大いに誇っている。また、あふれるばかり慰めを受け、あらゆる患難の中にあって喜びに満ちあふれている。

 

口語訳 ロマ 10:4

10:4 キリストは、すべて信じる者に義を得させるために、律法の終りとなられたのである。

 

口語訳 Uコリ4:3-4

4:3 もしわたしたちの福音がおおわれているなら、滅びる者どもにとっておおわれているのである。

4:4 彼らの場合、この世の神が不信の者たちの思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光の福音の輝きを、見えなくしているのである。

 

口語訳 ロマ 11:7-10

11:7 では、どうなるのか。イスラエルはその追い求めているものを得ないで、ただ選ばれた者が、それを得た。そして、他の者たちはかたくなになった。

11:8 「神は、彼らに鈍い心と、/見えない目と、聞えない耳とを与えて、/きょう、この日に及んでいる」/と書いてあるとおりである。

11:9 ダビデもまた言っている、/「彼らの食卓は、彼らのわなとなれ、網となれ、/つまずきとなれ、報復となれ。

11:10 彼らの目は、くらんで見えなくなれ、/彼らの背は、いつまでも曲っておれ」。

 

口語訳 Tコリ2:14

2:14 生れながらの人は、神の御霊の賜物を受けいれない。それは彼には愚かなものだからである。また、御霊によって判断されるべきであるから、彼はそれを理解することができない。

 

口語訳 ロマ 11:25-27

11:25 兄弟たちよ。あなたがたが知者だと自負することのないために、この奥義を知らないでいてもらいたくない。一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人が全部救われるに至る時までのことであって、

11:26 こうして、イスラエル人は、すべて救われるであろう。すなわち、次のように書いてある、/「救う者がシオンからきて、/ヤコブから不信心を追い払うであろう。

11:27 そして、これが、彼らの罪を除き去る時に、/彼らに対して立てるわたしの契約である」。

 

口語訳 Tコリ15:45

15:45 聖書に「最初の人アダムは生きたものとなった」と書いてあるとおりである。しかし最後のアダムは命を与える霊となった。

 

口語訳 ロマ 8:2

8:2 なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則は、罪と死との法則からあなたを解放したからである。

 

口語訳 ガラ 4:6

4:6 このように、あなたがたは子であるのだから、神はわたしたちの心の中に、「アバ、父よ」と呼ぶ御子の霊を送って下さったのである。

 

口語訳 Tコリ13:12

13:12 わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。

 

口語訳 ロマ 8:29

8:29 神はあらかじめ知っておられる者たちを、更に御子のかたちに似たものとしようとして、あらかじめ定めて下さった。それは、御子を多くの兄弟の中で長子とならせるためであった。

 

口語訳 Tコリ6:17

6:17 しかし主につく者は、主と一つの霊になるのである。

 

(日)新共同訳1987の引照

新共同 エペ 6:19

6:19 また、わたしが適切な言葉を用いて話し、福音の神秘を大胆に示すことができるように、わたしのためにも祈ってください。

 

新共同 Tテサ2:2

2:2 無駄ではなかったどころか、知ってのとおり、わたしたちは以前フィリピで苦しめられ、辱められたけれども、わたしたちの神に勇気づけられ、激しい苦闘の中であなたがたに神の福音を語ったのでした。

 

新共同 ピレ 1:8

1:8 それで、わたしは、あなたのなすべきことを、キリストの名によって遠慮なく命じてもよいのですが、

 

新共同 Uコリ3:7

3:7 ところで、石に刻まれた文字に基づいて死に仕える務めさえ栄光を帯びて、モーセの顔に輝いていたつかのまの栄光のために、イスラエルの子らが彼の顔を見つめえないほどであったとすれば、

 

新共同 ロマ 11:7-8

11:7 では、どうなのか。イスラエルは求めているものを得ないで、選ばれた者がそれを得たのです。他の者はかたくなにされたのです。

11:8 「神は、彼らに鈍い心、見えない目、/聞こえない耳を与えられた、今日に至るまで」と書いてあるとおりです。

 

新共同 Uコリ4:4

4:4 この世の神が、信じようとはしないこの人々の心の目をくらまし、神の似姿であるキリストの栄光に関する福音の光が見えないようにしたのです。

 

新共同 ロマ 11:23

11:23 彼らも、不信仰にとどまらないならば、接ぎ木されるでしょう。神は、彼らを再び接ぎ木することがおできになるのです。

 

新共同 Uコリ3:18

3:18 わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。

 

新共同 ガラ 4:6

4:6 あなたがたが子であることは、神が、「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります。

 

新共同 ガラ 5:1

5:1 この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません。

 

新共同 ガラ 5:13

5:13 兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。

 

新共同 Tコリ13:12

13:12 わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。

 

新共同 Uコリ4:6

4:6 「闇から光が輝き出よ」と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました。

 

新共同 Tヨハ3:2

3:2 愛する者たち、わたしたちは、今既に神の子ですが、自分がどのようになるかは、まだ示されていません。しかし、御子が現れるとき、御子に似た者となるということを知っています。なぜなら、そのとき御子をありのままに見るからです。

 

新共同 Uコリ3:17

3:17 ここでいう主とは、"霊"のことですが、主の霊のおられるところに自由があります。

 

(仏)THE NEW JERUSALEM BIBLE 1985 の引照

口語訳 ロマ 10:4

10:4 キリストは、すべて信じる者に義を得させるために、律法の終りとなられたのである。

 

口語訳 ロマ 11:7-10

11:7 では、どうなるのか。イスラエルはその追い求めているものを得ないで、ただ選ばれた者が、それを得た。そして、他の者たちはかたくなになった。

11:8 「神は、彼らに鈍い心と、/見えない目と、聞えない耳とを与えて、/きょう、この日に及んでいる」/と書いてあるとおりである。

11:9 ダビデもまた言っている、/「彼らの食卓は、彼らのわなとなれ、網となれ、/つまずきとなれ、報復となれ。

11:10 彼らの目は、くらんで見えなくなれ、/彼らの背は、いつまでも曲っておれ」。

 

口語訳 ガラ 5:1

5:1 自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのである。だから、堅く立って、二度と奴隷のくびきにつながれてはならない。

 

口語訳 ガラ 5:13

5:13 兄弟たちよ。あなたがたが召されたのは、実に、自由を得るためである。ただ、その自由を、肉の働く機会としないで、愛をもって互に仕えなさい。

 

口語訳 Uコリ4:6

4:6 「やみの中から光が照りいでよ」と仰せになった神は、キリストの顔に輝く神の栄光の知識を明らかにするために、わたしたちの心を照して下さったのである。

 

口語訳 ロマ 8:29

8:29 神はあらかじめ知っておられる者たちを、更に御子のかたちに似たものとしようとして、あらかじめ定めて下さった。それは、御子を多くの兄弟の中で長子とならせるためであった。

 

口語訳 Tヨハ3:2

3:2 愛する者たちよ。わたしたちは今や神の子である。しかし、わたしたちがどうなるのか、まだ明らかではない。彼が現れる時、わたしたちは、自分たちが彼に似るものとなることを知っている。そのまことの御姿を見るからである。

 

口語訳 ロマ 1:16

1:16 わたしは福音を恥としない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救を得させる神の力である。

 

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