****************************************

ヘブライ人へ 9:1−5

最初の契約の幕屋の構造

 

 

翻訳比較

 

岩波翻訳委員会訳1995

580901ところで、最初の〔契約〕に[も]勤めの規定とこの世の聖所があった。つまり

580902幕屋が設けられたのであった。第一の〔幕屋〕の中には燭台と卓とパンの供えがあった。これは聖所と呼ばれる。

580903そして第二の垂れ幕の後ろには至聖所とよばれる幕屋があった。

580904そこには金の香壇と全面を金で覆われた契約の箱があり、そ〔の箱〕の中にはマナを入れた金の壷、芽を吹き出したアロンの杖、契約の〔二枚の〕板が入っていた。

580905そ〔の箱〕の上には栄光のケルビムがあって贖罪板を影で覆っていた。これらのことについては、今は個々にわたって述べる時ではない。

 

新共同訳1987

9:1 さて、最初の契約にも、礼拝の規定と地上の聖所とがありました。

9:2 すなわち、第一の幕屋が設けられ、その中には燭台、机、そして供え物のパンが置かれていました。この幕屋が聖所と呼ばれるものです。

9:3 また、第二の垂れ幕の後ろには、至聖所と呼ばれる幕屋がありました。

9:4 そこには金の香壇と、すっかり金で覆われた契約の箱とがあって、この中には、マンナの入っている金の壺、芽を出したアロンの杖、契約の石板があり、

9:5 また、箱の上では、栄光の姿のケルビムが償いの座を覆っていました。こういうことについては、今はいちいち語ることはできません。

 

前田訳1978

9:1 たしかにはじめの契約にも礼拝の規則とこの世的な聖所がありました。

9:2 すなわち、第一の幕屋が設けられ、そこには燭台と供えのパンとがありました。それが聖所と呼ばれたものです。

9:3 第二の幕の後に至聖所と呼ばれる幕屋がありました。

9:4 そこには金の香壇と、すっかり金でおおわれた契約の箱とがあり、その中にマナのはいっている金のつぼと芽を出したアロンの杖と契約の石坂とがあり、

9:5 その上に栄光のケルビムがいて贖罪所をおおっていました。それについて、今はいちいち申せません。

 

新改訳1970

9:1 初めの契約にも礼拝の規定と地上の聖所とがありました。

9:2 幕屋が設けられ、その前部の所には、燭台と机と供えのパンがありました。聖所と呼ばれる所です。

9:3 また、第二の垂れ幕のうしろには、至聖所と呼ばれる幕屋が設けられ、

9:4 そこには金の香壇と、全面を金でおおわれた契約の箱があり、箱の中には、マナのはいった金のつぼ、芽を出したアロンの杖、契約の二つの板がありました。

9:5 また、箱の上には、贖罪蓋を翼でおおっている栄光のケルビムがありました。しかしこれらについては、今いちいち述べることができません。

 

塚本訳1963

9:1 さて、(前に言ったように、)最初の契約にも、礼拝の定めとこの世的の聖所とがあった。

9:2 (その構造はつぎのとおり。)すなわち(聖所は二つの幕屋に分れ、前方に)第一の幕屋が設けてあって、その中には燭台と机と供えのパンとがあった。この幕屋を聖所と呼んだ。

9:3 また第二の幕のうしろには、至聖所と呼ばれる(第二の)幕屋があった。

9:4 そこには金の香壇と、ぐるりと金を張った契約の箱とがあって、箱の中にはマナのはいっている金の壷と、芽を出したアロンの杖と、(十戒の書かれた)契約の(石)板とがあった。

9:5 箱の上には、(翼で)贖罪所をおおう栄光のケルビムがあった。これらのことについては、今一々述べることはできない。

 

口語訳1955

9:1 さて、初めの契約にも、礼拝についてのさまざまな規定と、地上の聖所とがあった。

9:2 すなわち、まず幕屋が設けられ、その前の場所には燭台と机と供えのパンとが置かれていた。これが、聖所と呼ばれた。

9:3 また第二の幕の後に、別の場所があり、それは至聖所と呼ばれた。

9:4 そこには金の香壇と全面金でおおわれた契約の箱とが置かれ、その中にはマナのはいっている金のつぼと、芽を出したアロンのつえと、契約の石板とが入れてあり、

9:5 箱の上には栄光に輝くケルビムがあって、贖罪所をおおっていた。これらのことについては、今ここで、いちいち述べることができない。

 

文語訳1917

"580901","初めの契約には禮拜の定と世に屬する聖所とありき。"

"580902","設けられたる幕屋あり、前なるを聖所と稱へ、その中に燈臺と案と供のパンとあり。"

"580903","また第二の幕の後に至聖所と稱ふる幕屋あり。"

"580904","その中に金の香壇と金にて偏く(あまねく)覆ひたる契約の櫃とあり、この中にマナを納れたる金の壷と芽したるアロンの杖と契約の石碑とあり、"

"580905","櫃の上に榮光のケルビムありて贖罪所を覆ふ。これらの物に就きては、今一々言ふこと能はず、"

 

****************************************

各国聖書引照編集

 

(独)NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 27版1993 の引照

新共同 ヘブ 6:19

6:19 わたしたちが持っているこの希望は、魂にとって頼りになる、安定した錨のようなものであり、また、至聖所の垂れ幕の内側に入って行くものなのです。

 

(英・米)THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE 1982 の引照

口語訳 Tコリ10:16-18

10:16 わたしたちが祝福する祝福の杯、それはキリストの血にあずかることではないか。わたしたちがさくパン、それはキリストのからだにあずかることではないか。

10:17 パンが一つであるから、わたしたちは多くいても、一つのからだなのである。みんなの者が一つのパンを共にいただくからである。

10:18 肉によるイスラエルを見るがよい。供え物を食べる人たちは、祭壇にあずかるのではないか。

 

(日)新共同訳1987の引照

新共同 ヘブ 9:10

9:10 これらは、ただ食べ物や飲み物や種々の洗い清めに関するもので、改革の時まで課せられている肉の規定にすぎません。

 

新共同 ヘブ 8:2

8:2 人間ではなく主がお建てになった聖所また真の幕屋で、仕えておられるということです。

 

新共同 ヘブ 9:24

9:24 なぜならキリストは、まことのものの写しにすぎない、人間の手で造られた聖所にではなく、天そのものに入り、今やわたしたちのために神の御前に現れてくださったからです。

 

新共同 ヘブ 9:24-25

9:24 なぜならキリストは、まことのものの写しにすぎない、人間の手で造られた聖所にではなく、天そのものに入り、今やわたしたちのために神の御前に現れてくださったからです。

9:25 また、キリストがそうなさったのは、大祭司が年ごとに自分のものでない血を携えて聖所に入るように、度々御自身をお献げになるためではありません。

 

新共同 ヘブ 9:7

9:7 しかし、第二の幕屋には年に一度、大祭司だけが入りますが、自分自身のためと民の過失のために献げる血を、必ず携えて行きます。

 

新共同 黙  2:17

2:17 耳ある者は、"霊"が諸教会に告げることを聞くがよい。勝利を得る者には隠されていたマンナを与えよう。また、白い小石を与えよう。その小石には、これを受ける者のほかにはだれにも分からぬ新しい名が記されている。」』

 

(仏)THE NEW JERUSALEM BIBLE 1985 の引照

 

・・・・

 

****************************************

 

 

 

 

 

****************************************

ヘブライ人へ 9:6−10

礼拝の不完全

 

 

翻訳比較

 

岩波翻訳委員会訳1995

580906これらのものが以上のように設けられたところで、第一の幕屋には祭司たちが勤めを遂行するために始終入って行くのに対し、

580907第二の〔幕屋〕には年に一度、大祭司だけ〔が入って行くの〕であり、〔それも〕自分自身のため、また民の過失のために献げる〔犠牲の〕血を携えてである。

580908聖霊が次のことを、つまり、まだ第一の幕屋が存続している限り、〔天の〕聖所への道はまだ顕わされていないことを明らかにしているのである。

580909第一の幕屋は現在の時を示す象徴である。〔象徴として〕供えや生け贄が献げられるのであって、これらは勤めを果たす人々を〔その〕内奥の意識まで完成に導くことはで

きない。

580910食べ物とか飲み物とか、種々の沐浴についての、改革の時まで課されている肉〔体のため〕の規定に過ぎないのである。

 

新共同訳1987

9:6 以上のものがこのように設けられると、祭司たちは礼拝を行うために、いつも第一の幕屋に入ります。

9:7 しかし、第二の幕屋には年に一度、大祭司だけが入りますが、自分自身のためと民の過失のために献げる血を、必ず携えて行きます。

9:8 このことによって聖霊は、第一の幕屋がなお存続しているかぎり、聖所への道はまだ開かれていないことを示しておられます。

9:9 この幕屋とは、今という時の比喩です。すなわち、供え物といけにえが献げられても、礼拝をする者の良心を完全にすることができないのです。

9:10 これらは、ただ食べ物や飲み物や種々の洗い清めに関するもので、改革の時まで課せられている肉の規定にすぎません。

 

前田訳1978

9:6 これらがこのように備わってから、祭司たちはつねに第一の幕屋にはいって礼拝を行なうのですが、

9:7 第二の幕屋には大祭司だけが年にただ一度はいります。しかも自らと民との過ちのためにささげる血を持たずにではありません。

9:8 これによって聖霊が明らかにしているとおり、第一の幕屋が立っているかぎり、聖所への道はまだ開かれていません。

9:9 これは今の世に対してのたとえです。それによってささげられた供え物といけにえとは礼拝者の良心を全うできません。

9:10 それはたんに食物と飲物と種々な清めについてで、革正の時まで課せられた肉の規則にすぎません。

 

新改訳1970

9:6 さて、これらの物が以上のように整えられた上で、前の幕屋には、祭司たちがいつもはいって礼拝を行なうのですが、

9:7 第二の幕屋には、大祭司だけが年に一度だけはいります。そのとき、血を携えずにはいるようなことはありません。その血は、自分のために、また、民が知らずに犯した罪のためにささげるものです。

9:8 これによって聖霊は次のことを示しておられます。すなわち、前の幕屋が存続しているかぎり、まことの聖所への道は、まだ明らかにされていないということです。

9:9 この幕屋はその当時のための比喩です。それに従って、ささげ物といけにえとがささげられますが、それらは礼拝する者の良心を完全にすることはできません。

9:10 それらは、ただ食物と飲み物と種々の洗いに関するもので、新しい秩序の立てられる時まで課せられた、からだに関する規定にすぎないからです。

 

塚本訳1963

9:6 このように、これらが設けられると、第一の幕屋には祭司たちが絶えず入っていって、(燭台を整え、香をたき、供えのパンを替える)礼拝を行うのである。

9:7 しかし(その奥の)第二の幕屋には、大祭司だけが年にただ一度(七月十日の贖罪の日に入ることを許され)、しかも自分と民との過失のために捧げる血なしでは、許されないのである。

9:8 これは、第一の幕屋がなお存在しているかぎり、(至)聖所への道がまだ現われていないことを、聖霊が明らかにしているのである。

9:9 ──この第一の幕屋は現在の比喩である。──従って供物や犠牲は捧げられるが、礼拝する人の良心を完全にすることはできない。

9:10 (これらは)食物と飲物、また種々なる洗いごとに関する(もので、キリストの来臨による)完成の時まで有効な、肉体の定めに過ぎない。

 

口語訳1955

9:6 これらのものが、以上のように整えられた上で、祭司たちは常に幕屋の前の場所にはいって礼拝をするのであるが、

9:7 幕屋の奥には大祭司が年に一度だけはいるのであり、しかも自分自身と民とのあやまちのためにささげる血をたずさえないで行くことはない。

9:8 それによって聖霊は、前方の幕屋が存在している限り、聖所にはいる道はまだ開かれていないことを、明らかに示している。

9:9 この幕屋というのは今の時代に対する比喩である。すなわち、供え物やいけにえはささげられるが、儀式にたずさわる者の良心を全うすることはできない。

9:10 それらは、ただ食物と飲み物と種々の洗いごとに関する行事であって、改革の時まで課せられている肉の規定にすぎない。

 

文語訳1917

"580906","此等のもの斯く備りたれば、祭司たちは常に前なる幕屋に入りて禮拜をおこなふ。"

"580907","されど奧なる幕屋には大祭司のみ年に一度おのれと民との過失のために獻ぐる血を携えて入るなり。"

"580908","之によりて聖靈は前なる幕屋のなほ存するあひだ、至聖所に入る道の未だ顯れざるを示し給ふ。"

"580909","この幕屋はその時のために設けられたる比喩なり、之に循ひて獻げたる供物と犠牲とは、禮拜をなす者の良心を全うすること能はざりき。"

"580910","此等はただ食物・飲物さまざまの濯事などに係り、肉に屬する定めにして、改革の時まで負せられたるのみ。"

 

****************************************

各国聖書引照編集

 

(独)NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 27版1993 の引照

新共同 ヘブ 9:18

9:18 だから、最初の契約もまた、血が流されずに成立したのではありません。

 

新共同 ヘブ 5:3

5:3 また、その弱さのゆえに、民のためだけでなく、自分自身のためにも、罪の贖いのために供え物を献げねばなりません。

 

新共同 ヘブ 7:19

7:19 律法が何一つ完全なものにしなかったからです――しかし、他方では、もっと優れた希望がもたらされました。わたしたちは、この希望によって神に近づくのです。

 

(英・米)THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE 1982 の引照

口語訳 ガラ 3:21

3:21 では、律法は神の約束と相いれないものか。断じてそうではない。もし人を生かす力のある律法が与えられていたとすれば、義はたしかに律法によって実現されたであろう。

 

口語訳 ガラ 4:4

4:4 しかし、時の満ちるに及んで、神は御子を女から生れさせ、律法の下に生れさせて、おつかわしになった。

 

(日)新共同訳1987の引照

新共同 ヘブ 9:8

9:8 このことによって聖霊は、第一の幕屋がなお存続しているかぎり、聖所への道はまだ開かれていないことを示しておられます。

 

新共同 ヘブ 9:3

9:3 また、第二の垂れ幕の後ろには、至聖所と呼ばれる幕屋がありました。

 

新共同 ヘブ 10:3

10:3 ところが実際は、これらのいけにえによって年ごとに罪の記憶がよみがえって来るのです。

 

新共同 ヘブ 5:3

5:3 また、その弱さのゆえに、民のためだけでなく、自分自身のためにも、罪の贖いのために供え物を献げねばなりません。

 

新共同 ヘブ 3:7

3:7 だから、聖霊がこう言われるとおりです。「今日、あなたたちが神の声を聞くなら、

 

新共同 ヘブ 9:6

9:6 以上のものがこのように設けられると、祭司たちは礼拝を行うために、いつも第一の幕屋に入ります。

 

新共同 ヘブ 10:20

10:20 イエスは、垂れ幕、つまり、御自分の肉を通って、新しい生きた道をわたしたちのために開いてくださったのです。

 

新共同 ヘブ 10:1

10:1 いったい、律法には、やがて来る良いことの影があるばかりで、そのものの実体はありません。従って、律法は年ごとに絶えず献げられる同じいけにえによって、神に近づく人たちを完全な者にすることはできません。

 

新共同 ヘブ 5:1

5:1 大祭司はすべて人間の中から選ばれ、罪のための供え物やいけにえを献げるよう、人々のために神に仕える職に任命されています。

 

新共同 ヘブ 7:19

7:19 律法が何一つ完全なものにしなかったからです――しかし、他方では、もっと優れた希望がもたらされました。わたしたちは、この希望によって神に近づくのです。

 

新共同 コロ 2:16

2:16 だから、あなたがたは食べ物や飲み物のこと、また、祭りや新月や安息日のことでだれにも批評されてはなりません。

 

新共同 ヘブ 6:1-2

6:1 -2だからわたしたちは、死んだ行いの悔い改め、神への信仰、種々の洗礼についての教え、手を置く儀式、死者の復活、永遠の審判などの基本的な教えを学び直すようなことはせず、キリストの教えの初歩を離れて、成熟を目指して進みましょう。

6:3 神がお許しになるなら、そうすることにしましょう。

 

新共同 ヘブ 7:12

7:12 祭司制度に変更があれば、律法にも必ず変更があるはずです。

 

新共同 ヘブ 9:1

9:1 さて、最初の契約にも、礼拝の規定と地上の聖所とがありました。

 

(仏)THE NEW JERUSALEM BIBLE 1985 の引照

口語訳 ヘブ 10:20

10:20 彼の肉体なる幕をとおり、わたしたちのために開いて下さった新しい生きた道をとおって、はいって行くことができるのであり、

 

口語訳 Tコリ10:6

10:6 これらの出来事は、わたしたちに対する警告であって、彼らが悪をむさぼったように、わたしたちも悪をむさぼることのないためなのである。

 

口語訳 ヘブ 11:40

11:40 神はわたしたちのために、さらに良いものをあらかじめ備えて下さっているので、わたしたちをほかにしては彼らが全うされることはない。

 

口語訳 コロ 2:16-17

2:16 だから、あなたがたは、食物と飲み物とにつき、あるいは祭や新月や安息日などについて、だれにも批評されてはならない。

2:17 これらは、きたるべきものの影であって、その本体はキリストにある。

 

****************************************

 

 

 

 

 

****************************************

ヘブライ人へ 9:11−14

大祭司キリストの血

 

 

翻訳比較

 

岩波翻訳委員会訳1995

580911キリストは、もたらされた善きものの大祭司として来た時、より大いなる、より完全な、手で造られたのでない、つまりこ〔の世界〕の被造物でできたのではない幕屋を通り、

580912山羊や子牛の血を介してではなく、自分の血を介して一度で聖所に入った。永遠の贖いをかちえたのである。

580913山羊や雄牛の血や、注ぎかける雌牛の灰が、穢れてしまった人々を聖とし、肉の清さをもたらすとすれば、

580914ましてや、永遠の霊によって自らを傷のないものとして神に献げたキリストの血は、私たちの内奥の意識を、生ける神に勤めを果たさせるべく、死んだ業から清めるであろう。

 

新共同訳1987

9:11 けれども、キリストは、既に実現している恵みの大祭司としておいでになったのですから、人間の手で造られたのではない、すなわち、この世のものではない、更に大きく、更に完全な幕屋を通り、

9:12 雄山羊と若い雄牛の血によらないで、御自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです。

9:13 なぜなら、もし、雄山羊と雄牛の血、また雌牛の灰が、汚れた者たちに振りかけられて、彼らを聖なる者とし、その身を清めるならば、

9:14 まして、永遠の“霊”によって、御自身をきずのないものとして神に献げられたキリストの血は、わたしたちの良心を死んだ業から清めて、生ける神を礼拝するようにさせないでしょうか。

 

前田訳1978

9:11 キリストは来られました。人の手で造られず、この世の被造物でなく、よりよくより完全な幕屋を経て、来たるべきよいものの大祭司としてです。

9:12 彼は山羊や小牛の血によらず、ご自身の血でただ一度聖所におはいりになり、永遠のあがないを全うされました。

9:13 もし山羊や牡牛の血や雌牛の灰がそそがれて汚れた人々の肉体をきよめて聖化するならば、

9:14 まして永遠の霊によって自らを無きずのまま神におささげのキリストの血はわれらの良心をきよめて、死んだわざを去って生ける神に仕えるように向かわせるものです。

 

新改訳1970

9:11 しかしキリストは、すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ、手で造った物でない、言い替えれば、この造られた物とは違った、さらに偉大な、さらに完全な幕屋を通り、

9:12 また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所にはいり、永遠の贖いを成し遂げられたのです。

9:13 もし、やぎと雄牛の血、また雌牛の灰を汚れた人々に注ぎかけると、それが聖めの働きをして肉体をきよいものにするとすれば、

9:14 まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。

 

塚本訳1963

9:11 しかしキリストは来るべき善いことの大祭司として(ついに地上に)あらわれ、手で造らない、すなわち、この世界に属しない、より大なる、より完全な幕屋を通って、

9:12 また、雄山羊や小牛の血をもってでなく、自分の血をもって、ただ一度かぎり(至)聖所に入り、永遠のあがないを得られたのである。

9:13 なぜなら、もし雄山羊や雄牛の血や(水にまぜた)雄牛の灰を、けがされた人々に注ぐことによって、肉体をきよめて、清潔にする(くらい)ならば、

9:14 まして永遠の御霊の力によって傷のない自分自身を神に捧げたキリストの血が、わたし達の良心を死ぬ行いから清めて、生ける神を礼拝させないことがあるだろうか。

 

口語訳1955

9:11 しかしキリストがすでに現れた祝福の大祭司としてこられたとき、手で造られず、この世界に属さない、さらに大きく、完全な幕屋をとおり、

9:12 かつ、やぎと子牛との血によらず、ご自身の血によって、一度だけ聖所にはいられ、それによって永遠のあがないを全うされたのである。

9:13 もし、やぎや雄牛の血や雌牛の灰が、汚れた人たちの上にまきかけられて、肉体をきよめ聖別するとすれば、

9:14 永遠の聖霊によって、ご自身を傷なき者として神にささげられたキリストの血は、なおさら、わたしたちの良心をきよめて死んだわざを取り除き、生ける神に仕える者としないであろうか。

 

文語訳1917

"580911","然れどキリストは來らんとする善き事の大祭司として來り、手にて造らぬ此の世に屬せぬ更に大なる全き幕屋を經て、"

"580912","山羊と犢との血を用ひず、己が血をもて只一たび至聖所に入りて、永遠の贖罪を終へたまへり。"

"580913","もし山羊および牡牛の血、牝牛の灰などを穢れし者にそそぎて其の肉體を潔むることを得ば、"

"580914","まして永遠の御靈により瑕なくして己を神に獻げ給ひしキリストの血は、我らの良心を死にたる行爲より潔めて活ける神に事へしめざらんや。"

 

****************************************

各国聖書引照編集

 

(独)NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 27版1993 の引照

新共同 ヘブ 4:14

4:14 さて、わたしたちには、もろもろの天を通過された偉大な大祭司、神の子イエスが与えられているのですから、わたしたちの公に言い表している信仰をしっかり保とうではありませんか。

 

新共同 Uコリ5:1

5:1 わたしたちの地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられていることを、わたしたちは知っています。人の手で造られたものではない天にある永遠の住みかです。

 

新共同 ルカ 24:21

24:21 わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります。

 

新共同 Tヨハ1:7

1:7 しかし、神が光の中におられるように、わたしたちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。

 

新共同 Tテモ3:9

3:9 清い良心の中に信仰の秘められた真理を持っている人でなければなりません。

 

新共同 ロマ 1:9

1:9 わたしは、御子の福音を宣べ伝えながら心から神に仕えています。その神が証ししてくださることですが、わたしは、祈るときにはいつもあなたがたのことを思い起こし、

 

新共同 Tテサ1:9

1:9 彼ら自身がわたしたちについて言い広めているからです。すなわち、わたしたちがあなたがたのところでどのように迎えられたか、また、あなたがたがどのように偶像から離れて神に立ち帰り、生けるまことの神に仕えるようになったか、

 

(英・米)THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE 1982 の引照

口語訳 Uコリ5:1

5:1 わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物、すなわち天にある、人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っている。

 

口語訳 ロマ 3:25

3:25 神はこのキリストを立てて、その血による、信仰をもって受くべきあがないの供え物とされた。それは神の義を示すためであった。すなわち、今までに犯された罪を、神は忍耐をもって見のがしておられたが、

 

口語訳 Tテサ1:10

1:10 そして、死人の中からよみがえった神の御子、すなわち、わたしたちをきたるべき怒りから救い出して下さるイエスが、天から下ってこられるのを待つようになったかを、彼ら自身が言いひろめているのである。

 

口語訳 Tコリ12:3

12:3 そこで、あなたがたに言っておくが、神の霊によって語る者はだれも「イエスはのろわれよ」とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」と言うことができない。

 

口語訳 ピリ 1:29

1:29 あなたがたはキリストのために、ただ彼を信じることだけではなく、彼のために苦しむことをも賜わっている。

 

口語訳 Uコリ5:21

5:21 神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかたを罪とされた。それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるためなのである。

 

口語訳 ロマ 6:13

6:13 また、あなたがたの肢体を不義の武器として罪にささげてはならない。むしろ、死人の中から生かされた者として、自分自身を神にささげ、自分の肢体を義の武器として神にささげるがよい。

 

口語訳 Uコリ6:16

6:16 神の宮と偶像となんの一致があるか。わたしたちは、生ける神の宮である。神がこう仰せになっている、/「わたしは彼らの間に住み、/かつ出入りをするであろう。そして、わたしは彼らの神となり、/彼らはわたしの民となるであろう」。

 

(日)新共同訳1987の引照

新共同 ヘブ 2:17

2:17 それで、イエスは、神の御前において憐れみ深い、忠実な大祭司となって、民の罪を償うために、すべての点で兄弟たちと同じようにならねばならなかったのです。

 

新共同 Uコリ5:1

5:1 わたしたちの地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられていることを、わたしたちは知っています。人の手で造られたものではない天にある永遠の住みかです。

 

新共同 ヘブ 13:14

13:14 わたしたちはこの地上に永続する都を持っておらず、来るべき都を探し求めているのです。

 

新共同 ヘブ 8:2

8:2 人間ではなく主がお建てになった聖所また真の幕屋で、仕えておられるということです。

 

新共同 ヘブ 9:13

9:13 なぜなら、もし、雄山羊と雄牛の血、また雌牛の灰が、汚れた者たちに振りかけられて、彼らを聖なる者とし、その身を清めるならば、

 

新共同 ヘブ 9:19

9:19 というのは、モーセが律法に従ってすべての掟を民全体に告げたとき、水や緋色の羊毛やヒソプと共に若い雄牛と雄山羊の血を取って、契約の書自体と民全体とに振りかけ、

 

新共同 ヘブ 10:4

10:4 雄牛や雄山羊の血は、罪を取り除くことができないからです。

 

新共同 ヘブ 9:14

9:14 まして、永遠の"霊"によって、御自身をきずのないものとして神に献げられたキリストの血は、わたしたちの良心を死んだ業から清めて、生ける神を礼拝するようにさせないでしょうか。

 

新共同 ヘブ 13:12

13:12 それで、イエスもまた、御自分の血で民を聖なる者とするために、門の外で苦難に遭われたのです。

 

新共同 ヘブ 7:27

7:27 この方は、ほかの大祭司たちのように、まず自分の罪のため、次に民の罪のために毎日いけにえを献げる必要はありません。というのは、このいけにえはただ一度、御自身を献げることによって、成し遂げられたからです。

 

新共同 ヘブ 9:24

9:24 なぜならキリストは、まことのものの写しにすぎない、人間の手で造られた聖所にではなく、天そのものに入り、今やわたしたちのために神の御前に現れてくださったからです。

 

新共同 ヘブ 5:9

5:9 そして、完全な者となられたので、御自分に従順であるすべての人々に対して、永遠の救いの源となり、

 

新共同 ヘブ 9:15

9:15 こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者なのです。それは、最初の契約の下で犯された罪の贖いとして、キリストが死んでくださったので、召された者たちが、既に約束されている永遠の財産を受け継ぐためにほかなりません。

 

新共同 エペ 5:2

5:2 キリストがわたしたちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとしてわたしたちのために神に献げてくださったように、あなたがたも愛によって歩みなさい。

 

新共同 テト 2:14

2:14 キリストがわたしたちのために御自身を献げられたのは、わたしたちをあらゆる不法から贖い出し、良い行いに熱心な民を御自分のものとして清めるためだったのです。

 

新共同 ヘブ 9:26

9:26 もしそうだとすれば、天地創造の時から度々苦しまねばならなかったはずです。ところが実際は、世の終わりにただ一度、御自身をいけにえとして献げて罪を取り去るために、現れてくださいました。

 

新共同 ヘブ 9:12

9:12 雄山羊と若い雄牛の血によらないで、御自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです。

 

新共同 Tヨハ1:7

1:7 しかし、神が光の中におられるように、わたしたちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。

 

新共同 黙  7:14

7:14 そこで、わたしが、「わたしの主よ、それはあなたの方がご存じです」と答えると、長老はまた、わたしに言った。「彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。

 

新共同 ヘブ 6:1

6:1 -2だからわたしたちは、死んだ行いの悔い改め、神への信仰、種々の洗礼についての教え、手を置く儀式、死者の復活、永遠の審判などの基本的な教えを学び直すようなことはせず、キリストの教えの初歩を離れて、成熟を目指して進みましょう。

 

新共同 ヘブ 10:2

10:2 もしできたとするなら、礼拝する者たちは一度清められた者として、もはや罪の自覚がなくなるはずですから、いけにえを献げることは中止されたはずではありませんか。

 

新共同 ヘブ 10:22

10:22 心は清められて、良心のとがめはなくなり、体は清い水で洗われています。信頼しきって、真心から神に近づこうではありませんか。

 

新共同 Tペテ3:21

3:21 この水で前もって表された洗礼は、今やイエス・キリストの復活によってあなたがたをも救うのです。洗礼は、肉の汚れを取り除くことではなくて、神に正しい良心を願い求めることです。

 

新共同 ヘブ 3:12

3:12 兄弟たち、あなたがたのうちに、信仰のない悪い心を抱いて、生ける神から離れてしまう者がないように注意しなさい。

 

(仏)THE NEW JERUSALEM BIBLE 1985 の引照

口語訳 ヘブ 4:14

4:14 さて、わたしたちには、もろもろの天をとおって行かれた大祭司なる神の子イエスがいますのであるから、わたしたちの告白する信仰をかたく守ろうではないか。

 

口語訳 ヘブ 9:24

9:24 ところが、キリストは、ほんとうのものの模型にすぎない、手で造った聖所にはいらないで、上なる天にはいり、今やわたしたちのために神のみまえに出て下さったのである。

 

口語訳 ヘブ 10:20

10:20 彼の肉体なる幕をとおり、わたしたちのために開いて下さった新しい生きた道をとおって、はいって行くことができるのであり、

 

口語訳 ヘブ 7:27

7:27 彼は、ほかの大祭司のように、まず自分の罪のため、次に民の罪のために、日々、いけにえをささげる必要はない。なぜなら、自分をささげて、一度だけ、それをされたからである。

 

口語訳 ロマ 3:24

3:24 彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。

 

口語訳 ヘブ 10:10

10:10 この御旨に基きただ一度イエス・キリストのからだがささげられたことによって、わたしたちはきよめられたのである。

 

口語訳 Uコリ13:13

13:13 主イエス・キリストの恵みと、神の愛と、聖霊の交わりとが、あなたがた一同と共にあるように。

 

口語訳 Tペテ1:18-19

1:18 あなたがたのよく知っているとおり、あなたがたが先祖伝来の空疎な生活からあがない出されたのは、銀や金のような朽ちる物によったのではなく、

1:19 きずも、しみもない小羊のようなキリストの尊い血によったのである。

 

口語訳 ヘブ 6:1

6:1 そういうわけだから、わたしたちは、キリストの教の初歩をあとにして、完成を目ざして進もうではないか。今さら、死んだ行いの悔改めと神への信仰、

 

口語訳 ロマ 1:9

1:9 わたしは、祈のたびごとに、絶えずあなたがたを覚え、いつかは御旨にかなって道が開かれ、どうにかして、あなたがたの所に行けるようにと願っている。このことについて、わたしのためにあかしをして下さるのは、わたしが霊により、御子の福音を宣べ伝えて仕えている神である。

 

****************************************

 

 

 

 

 

 

****************************************

ヘブライ人へ 9:15−22

キリストの血はモーセ律法の完成

 

 

翻訳比較

 

岩波翻訳委員会訳1995

580915それゆえ、彼は新しい契約の仲介者である。彼が第一の契約のもとでの違反の贖いとして死んだので、召された人々は約束された永遠の遺産を受けるのである。

580916契約〔つまり遺言〕があるところ、遺言〔つまり契約〕する人の死がもたらされることが必要だからである。

580917遺言はその人が死んではじめて有効になるからで、遺言する人が生きている間は、決して効力がないからである。

580918それゆえ、第一〔の契約〕も血なくして始められたのではなかった。

580919というのは、すべての誡めが律法に従ってモーセにより、民全員に語られると、〔モーセは〕水と赤い羊毛およびヒソプとともに、子牛[と山羊]の血をとり、〔契約の〕書そのものと民全員とに注ぎかけたのであった、

580920次のように言いながら。

580921また同じように幕屋にも務めの器にもすべて血を注ぎかけた。
580922そして、律法によれば、ほとんどすべてのものが血によって清められ、血を流すことなしには赦しはなされないのである。

 

新共同訳1987

9:15 こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者なのです。それは、最初の契約の下で犯された罪の贖いとして、キリストが死んでくださったので、召された者たちが、既に約束されている永遠の財産を受け継ぐためにほかなりません。

9:16 遺言の場合には、遺言者が死んだという証明が必要です。

9:17 遺言は人が死んで初めて有効になるのであって、遺言者が生きている間は効力がありません。

9:18 だから、最初の契約もまた、血が流されずに成立したのではありません。

9:19 というのは、モーセが律法に従ってすべての掟を民全体に告げたとき、水や緋色の羊毛やヒソプと共に若い雄牛と雄山羊の血を取って、契約の書自体と民全体とに振りかけ、

9:20 「これは、神があなたがたに対して定められた契約の血である」と言ったからです。

9:21 また彼は、幕屋と礼拝のために用いるあらゆる器具にも同様に血を振りかけました。

9:22 こうして、ほとんどすべてのものが、律法に従って血で清められており、血を流すことなしには罪の赦しはありえないのです。

 

前田訳1978

9:15 それでこそ彼は新しい契約の仲保者です。それは、はじめの契約の下に犯された罪のあがないのために死がなしとげられて、召された人々が永遠の世継ぎの約束を受けるためです。

9:16 遺言(という契約)は遺言者の死の確認が必要です。

9:17 遺言は死によって効力を生じ、遺言者が生きているうちは効力がありません。

9:18 したがってはじめの契約も血なしにはじまったのではありません。

9:19 すべてのいましめが律法どおりモーセによって民全体に告げられたとき、彼は水と赤い羊毛とヒソプとともに小牛と山羊との血をとって書きものと民全体にふりかけ、

9:20 「これは神があなた方とお立ての契約の血です」といいました。

9:21 そして幕屋と礼拝の器すべてにも同じように血をそそぎました。

9:22 そして律法によれば、ほとんどすべてが血によってきよめられ、血を流すことなしにゆるしはありえません。

 

新改訳1970

9:15 こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者です。それは、初めの契約のときの違反を贖うための死が実現したので、召された者たちが永遠の資産の約束を受けることができるためなのです。

9:16 遺言には、遺言者の死亡証明が必要です。

9:17 遺言は、人が死んだとき初めて有効になるのであって、遺言者が生きている間は、決して効力はありません。

9:18 したがって、初めの契約も血なしに成立したのではありません。

9:19 モーセは、律法に従ってすべての戒めを民全体に語って後、水と赤い色の羊の毛とヒソプとのほかに、子牛とやぎの血を取って、契約の書自体にも民の全体にも注ぎかけ、

9:20 「これは神があなたがたに対して立てられた契約の血である。」と言いました。

9:21 また彼は、幕屋と礼拝のすべての器具にも同様に血を注ぎかけました。

9:22 それで、律法によれば、すべてのものは血によってきよめられる、と言ってよいでしょう。また、血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。

 

塚本訳1963

9:15 このゆえに、彼(はキリスト)は新しい契約の仲介者である。彼は最初の(旧い)契約の下に犯された違反をあがなうために死なれたのであるから、(そのあとは神に)召された者が(すべて)永遠の相続財産の約束をいただくのである。

9:16 なぜなら、遺言[契約]には、遺言者の死んだこと(の証拠)を必ず提出せねばならない。

9:17 遺言は遺言者が生きている間は決して価値がないので、死によって効力を生ずるからである。

9:18 それゆえ最初の契約も、血なくしては清められなかった。

9:19 というのは、律法による掟がことごとくモーセから民全体に語られたのち、彼は小牛と雄山羊との血を、水と緋色の羊毛とヒソプと一しょに取り、(これを)律法の書自体と民全体とにそそいで、

9:20 こう言ったからである、『これは神があなた達に命じられた契約の血』と。

9:21 そして幕屋にも礼拝用の器具全体にも、同じく血をそそいだ。

9:22 こうして律法にしたがえば、ほとんどすべてのものが血で清められ、血を流すことなしには(罪の)赦はない。

 

口語訳1955

9:15 それだから、キリストは新しい契約の仲保者なのである。それは、彼が初めの契約のもとで犯した罪過をあがなうために死なれた結果、召された者たちが、約束された永遠の国を受け継ぐためにほかならない。

9:16 いったい、遺言には、遺言者の死の証明が必要である。

9:17 遺言は死によってのみその効力を生じ、遺言者が生きている間は、効力がない。

9:18 だから、初めの契約も、血を流すことなしに成立したのではない。

9:19 すなわち、モーセが、律法に従ってすべての戒めを民全体に宣言したとき、水と赤色の羊毛とヒソプとの外に、子牛とやぎとの血を取って、契約書と民全体とにふりかけ、

9:20 そして、「これは、神があなたがたに対して立てられた契約の血である」と言った。

9:21 彼はまた、幕屋と儀式用の器具いっさいにも、同様に血をふりかけた。

9:22 こうして、ほとんどすべての物が、律法に従い、血によってきよめられたのである。血を流すことなしには、罪のゆるしはあり得ない。

 

文語訳1917

"580915","この故に彼は新しき契約の中保なり。これ初の契約の下に犯したる咎を贖ふべき死あるによりて、召されたる者に約束の永遠の嗣業を受けさせん爲なり。"

"580916","それ遺言は必ず遺言者の死を要す。"

"580917","遺言は遺言者死にてのち始めて效あり、遺言者の生くる間は效なきなり。"

"580918","この故に初の契約も血なくして立てしにあらず。"

"580919","モーセ律法に循ひて諸般の誡命をすべての民に告げてのち、犢と山羊との血、また水と緋色の毛とヒソプとをとりて、書および凡ての民にそそぎて言ふ、"

"580920","『これ神の汝らに命じたまふ契約の血なり』と。"

"580921","また同じく幕屋と祭のすべての器とに血をそそげり。"

"580922","おほよそ律法によれば、萬のもの血をもて潔めらる、もし血を流すことなくば、赦さるることなし。"

 

****************************************

各国聖書引照編集

 

(独)NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 27版1993 の引照

新共同 ヘブ 7:22

7:22 このようにして、イエスはいっそう優れた契約の保証となられたのです。

 

新共同 エペ 1:18

1:18 心の目を開いてくださるように。そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように。

 

新共同 ヘブ 9:12-13

9:12 雄山羊と若い雄牛の血によらないで、御自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです。

9:13 なぜなら、もし、雄山羊と雄牛の血、また雌牛の灰が、汚れた者たちに振りかけられて、彼らを聖なる者とし、その身を清めるならば、

 

(英・米)THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE 1982 の引照

口語訳 ロマ 6:23

6:23 罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。

 

(日)新共同訳1987の引照

新共同 ヘブ 8:8

8:8 事実、神はイスラエルの人々を非難して次のように言われています。「『見よ、わたしがイスラエルの家、またユダの家と、/新しい契約を結ぶ時が来る』と、/主は言われる。

 

新共同 ヘブ 8:6

8:6 しかし、今、わたしたちの大祭司は、それよりはるかに優れた務めを得ておられます。更にまさった約束に基づいて制定された、更にまさった契約の仲介者になられたからです。

 

新共同 ヘブ 12:24

12:24 新しい契約の仲介者イエス、そして、アベルの血よりも立派に語る注がれた血です。

 

新共同 ロマ 8:28

8:28 神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。

 

新共同 ヘブ 3:1

3:1 だから、天の召しにあずかっている聖なる兄弟たち、わたしたちが公に言い表している使者であり、大祭司であるイエスのことを考えなさい。

 

新共同 ヘブ 6:15

6:15 こうして、アブラハムは根気よく待って、約束のものを得たのです。

 

新共同 ヘブ 10:36

10:36 神の御心を行って約束されたものを受けるためには、忍耐が必要なのです。

 

新共同 ヘブ 11:39

11:39 ところで、この人たちはすべて、その信仰のゆえに神に認められながらも、約束されたものを手に入れませんでした。

 

新共同 ヘブ 6:12

6:12 あなたがたが怠け者とならず、信仰と忍耐とによって、約束されたものを受け継ぐ人たちを見倣う者となってほしいのです。

 

新共同 ヘブ 6:17

6:17 神は約束されたものを受け継ぐ人々に、御自分の計画が変わらないものであることを、いっそうはっきり示したいと考え、それを誓いによって保証なさったのです。

 

新共同 ヘブ 9:12

9:12 雄山羊と若い雄牛の血によらないで、御自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです。

 

新共同 ヘブ 10:29

10:29 まして、神の子を足げにし、自分が聖なる者とされた契約の血を汚れたものと見なし、その上、恵みの霊を侮辱する者は、どれほど重い刑罰に値すると思いますか。

 

(仏)THE NEW JERUSALEM BIBLE 1985 の引照

口語訳 ヘブ 8:6

8:6 ところがキリストは、はるかにすぐれた務を得られたのである。それは、さらにまさった約束に基いて立てられた、さらにまさった契約の仲保者となられたことによる。

 

口語訳 ガラ 4:1-7

4:1 わたしの言う意味は、こうである。相続人が子供である間は、全財産の持ち主でありながら、僕となんの差別もなく、

4:2 父親の定めた時期までは、管理人や後見人の監督の下に置かれているのである。

4:3 それと同じく、わたしたちも子供であった時には、いわゆるこの世のもろもろの霊力の下に、縛られていた者であった。

4:4 しかし、時の満ちるに及んで、神は御子を女から生れさせ、律法の下に生れさせて、おつかわしになった。

4:5 それは、律法の下にある者をあがない出すため、わたしたちに子たる身分を授けるためであった。

4:6 このように、あなたがたは子であるのだから、神はわたしたちの心の中に、「アバ、父よ」と呼ぶ御子の霊を送って下さったのである。

4:7 したがって、あなたがたはもはや僕ではなく、子である。子である以上、また神による相続人である。

 

****************************************

 

 

 

 

 

 

****************************************

ヘブライ人へ 9:23−28

天の聖所に入ったキリストはふたたび現れる

 

 

翻訳比較

 

岩波翻訳委員会訳1995

580923したがって、天にあるものの模型〔である地上のもの〕はこれらのものによって清められなければならず、他方、天上〔の原形〕そのものは、これらのものよりももっと優れた生け贄によって〔清められるの〕でなければならない。

580924というのはキリストは手で造られた聖所、真の〔聖所〕の複製にではなく、天そのものに入ったのであり、今や私たちのため、神の面前に姿を現したのである。

580925それは大祭司が自分以外のものの血を携えて年ごとに聖所に入るように、くり返し自分を献げるためではなかった。

580926〔仮にそうだったとすれば〕世界の礎が置かれて以来、くり返し苦難を受けなければならなかったことになるからである。だが実際には、世々の終りに、ただ一度、[あの]罪の取り消しのために、自分という生け贄を通して〔神の前に〕姿を現しているのである。

580927人間たちには一度死ぬこと、その後にさばきと定まっているが、そのように

580928キリストも一度多くの人々の〔もろもろの〕罪を担うために献げられた後は、二度目には罪〔を担うこと〕と関わりなく、救いをもたらすため、自分を待ち望んでいる人々に現れることになっている。

 

新共同訳1987

9:23 このように、天にあるものの写しは、これらのものによって清められねばならないのですが、天にあるもの自体は、これらよりもまさったいけにえによって、清められねばなりません。

9:24 なぜならキリストは、まことのものの写しにすぎない、人間の手で造られた聖所にではなく、天そのものに入り、今やわたしたちのために神の御前に現れてくださったからです。

9:25 また、キリストがそうなさったのは、大祭司が年ごとに自分のものでない血を携えて聖所に入るように、度々御自身をお献げになるためではありません。

9:26 もしそうだとすれば、天地創造の時から度々苦しまねばならなかったはずです。ところが実際は、世の終わりにただ一度、御自身をいけにえとして献げて罪を取り去るために、現れてくださいました。

9:27 また、人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっているように、

9:28 キリストも、多くの人の罪を負うためにただ一度身を献げられた後、二度目には、罪を負うためではなく、御自分を待望している人たちに、救いをもたらすために現れてくださるのです。

 

前田訳1978

9:23 さて、天のものの型がこれらによってきよめられるならば、天のもの自体はそれよりすぐれたいけにえによってきよめられる必要があります。

9:24 キリストは真のもののひな形である手で作った聖所にではなくて、天そのものに入って、今やわれらのために神のみ顔の前に現われてくださいました。

9:25 大祭司が年ごとに他のものの血を持って聖所に入るようには、キリストはたびたび自らをおささげではありませんでした。

9:26 それならばキリストは、世のはじめからたびたびお苦しみになるはずでした。しかし今や自らのいけにえによって罪を除くために、世々の終わりにただ一度お現れでした。

9:27 およそ人はただ一度死に、その後に裁きがありますが、

9:28 そのようにキリストも多くの人々の罪を負うためにただ一度自らをおささげになり、二度目には自らを待ち受ける人々を救いに導くよう、罪を負うためでなくお現われになるでしょう。

 

新改訳1970

9:23 ですから、天にあるものにかたどったものは、これらのものによってきよめられる必要がありました。しかし天にあるもの自体は、これよりもさらにすぐれたいけにえで、きよめられなければなりません。

9:24 キリストは、本物の模型にすぎない、手で造った聖所にはいられたのではなく、天そのものにはいられたのです。そして、今、私たちのために神の御前に現われてくださるのです。

9:25 それも、年ごとに自分の血でない血を携えて聖所にはいる大祭司とは違って、キリストは、ご自分を幾度もささげることはなさいません。

9:26 もしそうでなかったら、世の初めから幾度も苦難を受けなければならなかったでしょう。しかしキリストは、ただ一度、今の世の終わりに、ご自身をいけにえとして罪を取り除くために、来られたのです。

9:27 そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、

9:28 キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。

 

塚本訳1963

9:23 だから、天上のものの模型が必ずこんなにして清められねばならない(くらい)なら、(原形である)天上のこと自体は、これら(地上)のものにまさる犠牲で清められねばならない。

9:24 というのは、キリストは手で造った、本当の聖所の模型の聖所でなく、天そのものに入って、今わたし達のために神の御顔のまえに現れてくださったのである。

9:25 また、大祭司が自分のものでない血をもって毎年(至)聖所に入るように、彼は幾度も自分を捧げるために入られたのでもなかった。

9:26 そうでなければ、世の始から(罪人はあったのだから)、彼は幾度も苦しみをうけねばならなかったのである。しかし今や世の終に、キリストは(人々の)罪を除くため、自分の犠牲によって、ただ一度自分を現わされたのである。(彼の犠牲は空前絶後である。)

9:27 そして、ただ一度死ぬことと、そのあとで(神の前に出て)裁きを受けることとが人間にきまっていると同様、

9:28 キリストも、ただ一度『多くの人の罪を負う』ために捧げられ、(それから)二度目に、(しかし今度は)罪と関係なく、救のため、彼を待っている者に自分をあらわされるのである。

 

口語訳1955

9:23 このように、天にあるもののひな型は、これらのものできよめられる必要があるが、天にあるものは、これらより更にすぐれたいけにえで、きよめられねばならない。

9:24 ところが、キリストは、ほんとうのものの模型にすぎない、手で造った聖所にはいらないで、上なる天にはいり、今やわたしたちのために神のみまえに出て下さったのである。

9:25 大祭司は、年ごとに、自分以外のものの血をたずさえて聖所にはいるが、キリストは、そのように、たびたびご自身をささげられるのではなかった。

9:26 もしそうだとすれば、世の初めから、たびたび苦難を受けねばならなかったであろう。しかし事実、ご自身をいけにえとしてささげて罪を取り除くために、世の終りに、一度だけ現れたのである。

9:27 そして、一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっているように、

9:28 キリストもまた、多くの人の罪を負うために、一度だけご自身をささげられた後、彼を待ち望んでいる人々に、罪を負うためではなしに二度目に現れて、救を与えられるのである。

 

文語訳1917

"580923","この故に天に在るものに象りたる物は此等にて潔められ、天にある物は此等に勝りたる犠牲をもて潔めらるべきなり。"

"580924","キリストは眞のものに象れる、手にて造りたる聖所に入らず、眞の天に入りて今より我等のために神の前にあらはれ給ふ。"

"580925","これ大祭司が年ごとに他の物の血をもて聖所に入るごとく、屡次おのれを獻ぐる爲にあらず。"

"580926","もし然らずば世の創より以來しばしば苦難を受け給ふべきなり。然れど今、世の季にいたり己を犠牲となして罪を除かんために一たび現れたまへり。"

"580927","一たび死ぬることと死にてのち審判を受くることとの人に定りたる如く、"

"580928","キリストも亦おほくの人の罪を負はんが爲に一度獻げられ、復罪を負ふことなく、己を待望む者に再び現れて救を得させ給ふべし。"

 

****************************************

各国聖書引照編集

 

(独)NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 27版1993 の引照

新共同 ヘブ 9:11

9:11 けれども、キリストは、既に実現している恵みの大祭司としておいでになったのですから、人間の手で造られたのではない、すなわち、この世のものではない、更に大きく、更に完全な幕屋を通り、

 

新共同 ロマ 8:34

8:34 だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。

 

新共同 ヘブ 9:12

9:12 雄山羊と若い雄牛の血によらないで、御自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです。

 

新共同 マタ 13:39

13:39 毒麦を蒔いた敵は悪魔、刈り入れは世の終わりのことで、刈り入れる者は天使たちである。

 

新共同 Tコリ10:11

10:11 これらのことは前例として彼らに起こったのです。それが書き伝えられているのは、時の終わりに直面しているわたしたちに警告するためなのです。

 

新共同 ヘブ 9:26

9:26 もしそうだとすれば、天地創造の時から度々苦しまねばならなかったはずです。ところが実際は、世の終わりにただ一度、御自身をいけにえとして献げて罪を取り去るために、現れてくださいました。

 

(英・米)THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE 1982 の引照

口語訳 ロマ 8:34

8:34 だれが、わたしたちを罪に定めるのか。キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである。

 

口語訳 ロマ 5:19

5:19 すなわち、ひとりの人の不従順によって、多くの人が罪人とされたと同じように、ひとりの従順によって、多くの人が義人とされるのである。

 

口語訳 ロマ 6:14

6:14 なぜなら、あなたがたは律法の下にあるのではなく、恵みの下にあるので、罪に支配されることはないからである。

 

口語訳 Tコリ15:56-57

15:56 死のとげは罪である。罪の力は律法である。

15:57 しかし感謝すべきことには、神はわたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちに勝利を賜わったのである。

 

口語訳 ロマ 5:12

5:12 このようなわけで、ひとりの人によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいってきたように、こうして、すべての人が罪を犯したので、死が全人類にはいり込んだのである。

 

口語訳 ロマ 14:9-11

14:9 なぜなら、キリストは、死者と生者との主となるために、死んで生き返られたからである。

14:10 それだのに、あなたは、なぜ兄弟をさばくのか。あなたは、なぜ兄弟を軽んじるのか。わたしたちはみな、神のさばきの座の前に立つのである。

14:11 すなわち、/「主が言われる。わたしは生きている。すべてのひざは、わたしに対してかがみ、/すべての舌は、神にさんびをささげるであろう」/と書いてある。

 

口語訳 Tコリ4:5

4:5 だから、主がこられるまでは、何事についても、先走りをしてさばいてはいけない。主は暗い中に隠れていることを明るみに出し、心の中で企てられていることを、あらわにされるであろう。その時には、神からそれぞれほまれを受けるであろう。

 

口語訳 Uコリ5:10-11

5:10 なぜなら、わたしたちは皆、キリストのさばきの座の前にあらわれ、善であれ悪であれ、自分の行ったことに応じて、それぞれ報いを受けねばならないからである。

5:11 このようにわたしたちは、主の恐るべきことを知っているので、人々に説き勧める。わたしたちのことは、神のみまえには明らかになっている。さらに、あなたがたの良心にも明らかになるようにと望む。

 

口語訳 ロマ 6:10

6:10 なぜなら、キリストが死んだのは、ただ一度罪に対して死んだのであり、キリストが生きるのは、神に生きるのだからである。

 

口語訳 ピリ 3:20

3:20 しかし、わたしたちの国籍は天にある。そこから、救主、主イエス・キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる。

 

口語訳 Tテサ1:10

1:10 そして、死人の中からよみがえった神の御子、すなわち、わたしたちをきたるべき怒りから救い出して下さるイエスが、天から下ってこられるのを待つようになったかを、彼ら自身が言いひろめているのである。

 

口語訳 Tコリ1:7-8

1:7 こうして、あなたがたは恵みの賜物にいささかも欠けることがなく、わたしたちの主イエス・キリストの現れるのを待ち望んでいる。

1:8 主もまた、あなたがたを最後まで堅くささえて、わたしたちの主イエス・キリストの日に、責められるところのない者にして下さるであろう。

 

口語訳 Tテサ4:14-16

4:14 わたしたちが信じているように、イエスが死んで復活されたからには、同様に神はイエスにあって眠っている人々をも、イエスと一緒に導き出して下さるであろう。

4:15 わたしたちは主の言葉によって言うが、生きながらえて主の来臨の時まで残るわたしたちが、眠った人々より先になることは、決してないであろう。

4:16 すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、

 

口語訳 ロマ 8:19-23

8:19 被造物は、実に、切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいる。

8:20 なぜなら、被造物が虚無に服したのは、自分の意志によるのではなく、服従させたかたによるのであり、

8:21 かつ、被造物自身にも、滅びのなわめから解放されて、神の子たちの栄光の自由に入る望みが残されているからである。

8:22 実に、被造物全体が、今に至るまで、共にうめき共に産みの苦しみを続けていることを、わたしたちは知っている。

8:23 それだけではなく、御霊の最初の実を持っているわたしたち自身も、心の内でうめきながら、子たる身分を授けられること、すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる。

 

口語訳 Tコリ15:24

15:24 それから終末となって、その時に、キリストはすべての君たち、すべての権威と権力とを打ち滅ぼして、国を父なる神に渡されるのである。

 

口語訳 ピリ 3:21

3:21 彼は、万物をご自身に従わせうる力の働きによって、わたしたちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて下さるであろう。

 

口語訳 Tテサ4:17

4:17 それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう。

 

口語訳 Tテサ5:9

5:9 神は、わたしたちを怒りにあわせるように定められたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストによって救を得るように定められたのである。

 

(日)新共同訳1987の引照

新共同 ヘブ 8:5

8:5 この祭司たちは、天にあるものの写しであり影であるものに仕えており、そのことは、モーセが幕屋を建てようとしたときに、お告げを受けたとおりです。神は、「見よ、山で示された型どおりに、すべてのものを作れ」と言われたのです。

 

新共同 ヘブ 8:2

8:2 人間ではなく主がお建てになった聖所また真の幕屋で、仕えておられるということです。

 

新共同 ヘブ 4:14

4:14 さて、わたしたちには、もろもろの天を通過された偉大な大祭司、神の子イエスが与えられているのですから、わたしたちの公に言い表している信仰をしっかり保とうではありませんか。

 

新共同 ヘブ 9:12

9:12 雄山羊と若い雄牛の血によらないで、御自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです。

 

新共同 ヘブ 9:7

9:7 しかし、第二の幕屋には年に一度、大祭司だけが入りますが、自分自身のためと民の過失のために献げる血を、必ず携えて行きます。

 

新共同 ヘブ 10:20

10:20 イエスは、垂れ幕、つまり、御自分の肉を通って、新しい生きた道をわたしたちのために開いてくださったのです。

 

新共同 ヘブ 4:3

4:3 信じたわたしたちは、この安息にあずかることができるのです。「わたしは怒って誓ったように、/『彼らを決してわたしの安息に/あずからせはしない』」と言われたとおりです。もっとも、神の業は天地創造の時以来、既に出来上がっていたのです。

 

新共同 ヘブ 1:2

1:2 この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造されました。

 

新共同 Tヨハ3:5

3:5 あなたがたも知っているように、御子は罪を除くために現れました。御子には罪がありません。

 

新共同 Tヨハ3:8

3:8 罪を犯す者は悪魔に属します。悪魔は初めから罪を犯しているからです。悪魔の働きを滅ぼすためにこそ、神の子が現れたのです。

 

新共同 Uコリ5:10

5:10 なぜなら、わたしたちは皆、キリストの裁きの座の前に立ち、善であれ悪であれ、めいめい体を住みかとしていたときに行ったことに応じて、報いを受けねばならないからです。

 

新共同 ヘブ 10:27

10:27 ただ残っているのは、審判と敵対する者たちを焼き尽くす激しい火とを、恐れつつ待つことだけです。

 

新共同 Tヨハ4:17

4:17 こうして、愛がわたしたちの内に全うされているので、裁きの日に確信を持つことができます。この世でわたしたちも、イエスのようであるからです。

 

新共同 Tペテ2:24

2:24 そして、十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました。

 

新共同 ヘブ 7:27

7:27 この方は、ほかの大祭司たちのように、まず自分の罪のため、次に民の罪のために毎日いけにえを献げる必要はありません。というのは、このいけにえはただ一度、御自身を献げることによって、成し遂げられたからです。

 

新共同 Tペテ3:18

3:18 キリストも、罪のためにただ一度苦しまれました。正しい方が、正しくない者たちのために苦しまれたのです。あなたがたを神のもとへ導くためです。キリストは、肉では死に渡されましたが、霊では生きる者とされたのです。

 

新共同 ヘブ 4:15

4:15 この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。

 

新共同 ヘブ 5:9

5:9 そして、完全な者となられたので、御自分に従順であるすべての人々に対して、永遠の救いの源となり、

 

新共同 Tコリ1:7

1:7 その結果、あなたがたは賜物に何一つ欠けるところがなく、わたしたちの主イエス・キリストの現れを待ち望んでいます。

 

新共同 テト 2:13

2:13 また、祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、わたしたちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。

 

(仏)THE NEW JERUSALEM BIBLE 1985 の引照

口語訳 ヘブ 8:5

8:5 彼らは、天にある聖所のひな型と影とに仕えている者にすぎない。それについては、モーセが幕屋を建てようとしたとき、御告げを受け、「山で示された型どおりに、注意してそのいっさいを作りなさい」と言われたのである。

 

口語訳 ヘブ 9:11-12

9:11 しかしキリストがすでに現れた祝福の大祭司としてこられたとき、手で造られず、この世界に属さない、さらに大きく、完全な幕屋をとおり、

9:12 かつ、やぎと子牛との血によらず、ご自身の血によって、一度だけ聖所にはいられ、それによって永遠のあがないを全うされたのである。

 

口語訳 Tコリ10:6

10:6 これらの出来事は、わたしたちに対する警告であって、彼らが悪をむさぼったように、わたしたちも悪をむさぼることのないためなのである。

 

口語訳 ロマ 8:34

8:34 だれが、わたしたちを罪に定めるのか。キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである。

 

口語訳 ヘブ 7:25

7:25 そこでまた、彼は、いつも生きていて彼らのためにとりなしておられるので、彼によって神に来る人々を、いつも救うことができるのである。

 

口語訳 ヘブ 7:27

7:27 彼は、ほかの大祭司のように、まず自分の罪のため、次に民の罪のために、日々、いけにえをささげる必要はない。なぜなら、自分をささげて、一度だけ、それをされたからである。

 

口語訳 ガラ 4:4

4:4 しかし、時の満ちるに及んで、神は御子を女から生れさせ、律法の下に生れさせて、おつかわしになった。

 

口語訳 ピリ 3:20-21

3:20 しかし、わたしたちの国籍は天にある。そこから、救主、主イエス・キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる。

3:21 彼は、万物をご自身に従わせうる力の働きによって、わたしたちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて下さるであろう。

 

口語訳 Tテモ6:14

6:14 わたしたちの主イエス・キリストの出現まで、その戒めを汚すことがなく、また、それを非難のないように守りなさい。

 

****************************************