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ローマ 4:1−8

アブラハムが義とされたのは信仰による

 

 

翻訳比較

 

岩波翻訳委員会訳1995

450401それでは、肉による私たちの父祖アブラハムは何を見いだす〔に至った〕と、私たちは言うのであろうか。

450402もしもアブラハムが業によって義とされたのなら、彼は誇りうる。しかし、神に対しては否である。

450403なぜならば、聖書は何と言っているか。アブラハムは神を信じた。そして〔そのことが〕彼にとって義とみなされた。

450404さて、業をなす者にとっては、報酬は、恵みに従って〔与えられるもの〕とみなされるのではなく、むしろ当然の支払いとして〔与えられるもの〕とみなされる。

450405しかし、不信心〔で神なき〕者を義とする方を信じる者にとっては、業を為すことのないままで、その人のその信仰が義とみなされるのである。

450406ダビデもまた、神が業によらずに義とみなした人の幸いを〔次のように〕言っている〔が、その〕とおりである。

450407幸いである、その不法がゆるされ、

その罪が覆い隠された人たちは。

450408幸いである、その罪を主が認めない人は。

 

新共同訳1987

4:1 では、肉によるわたしたちの先祖アブラハムは何を得たと言うべきでしょうか。

4:2 もし、彼が行いによって義とされたのであれば、誇ってもよいが、神の前ではそれはできません。

4:3 聖書には何と書いてありますか。「アブラハムは神を信じた。それが、彼の義と認められた」とあります。

4:4 ところで、働く者に対する報酬は恵みではなく、当然支払われるべきものと見なされています。

4:5 しかし、不信心な者を義とされる方を信じる人は、働きがなくても、その信仰が義と認められます。

4:6 同じようにダビデも、行いによらずに神から義と認められた人の幸いを、次のようにたたえています。

4:7 「不法が赦され、罪を覆い隠された人々は、/幸いである。

4:8 主から罪があると見なされない人は、/幸いである。」

 

前田訳1978

4:1 それでは、われらの肉の父祖アブラハムが得たものは何であるといいましょう。

4:2 もしアブラハムが行ないによって義とされたなら、誇っていいわけです。しかし神に対してではありません。

4:3 聖書は何といいますか。「アブラハムは神を信じ、それが彼の義と認められた」とあります。

4:4 行ないをするものにとっては、報酬は恩恵ではなくて義務とみなされます。

4:5 行ないをしないものにとってはすなわち不信のものを義となさる方を信ずるものにとっては、その信仰が義と認められます。

4:6 同じようにダビデも、行ないに関係なく神が義と認められる人のさいわいを賛美します、

4:7 「さいわいなのは不法をゆるされ、罪をおおわれた人。

4:8 さいわいなのは主が罪を認められぬ人」と。

 

新改訳1970

4:1 それでは、肉による私たちの先祖アブラハムのばあいは、どうでしょうか。

4:2 もしアブラハムが行ないによって義と認められたのなら、彼は誇ることができます。しかし、神の御前では、そうではありません。

4:3 聖書は何と言っていますか。「それでアブラハムは神を信じた。それが彼の義と見なされた。」とあります。

4:4 働く者のばあいに、その報酬は恵みでなくて、当然支払うべきものとみなされます。

4:5 何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、その信仰が義とみなされるのです。

4:6 ダビデもまた、行ないとは別の道で神によって義と認められる人の幸いを、こう言っています。

4:7 「不法を赦され、罪をおおわれた人たちは、幸いである。

4:8 主が罪を認めない人は幸いである。」

 

塚本訳1963

4:1 それでは、わたし達(ユダヤ人の)肉の先祖アブラハムが得たものは、どういうことになるのだろうか、(何も得なかったことになるではないか、とある人は言うかも知れない。

4:2 わたしは答える、)もし実際アブラハムが(りっぱな)行いによって義とされたのならば、(たしかに)誇る理由がある。しかし(誇ると言っても、人間に対してであって、)神に対してではない。

4:3 では聖書は何と言っているか。『アブラハムは神を信じて、そのことが彼の義と見なされた』とある。(アブラハムが義とされたのは行いのゆえではなく、恩恵である。)

4:4 いったい、仕事をする者に対しては、報酬は債務であって、恩恵とみなすべきではない。

4:5 反対に、仕事をしない者、すなわち(善い行いは出来ずとも、信ずれば)どんな悪人でも義とするお方(神)を信ずる者に対しては、その信仰が義と見なされるのである。

4:6 同じようにダビデ(王)も、行いに関係なく、(ただ信仰のゆえに)神が義と見なされる人の幸福を讃美して、こう言っている。

4:7 『幸いである、その不法をゆるされ、その罪をおおわれた人たちは。

4:8 幸いな人である、主がその罪を認められない人は。』

 

口語訳1955

4:1 それでは、肉によるわたしたちの先祖アブラハムの場合については、なんと言ったらよいか。

4:2 もしアブラハムが、その行いによって義とされたのであれば、彼は誇ることができよう。しかし、神のみまえでは、できない。

4:3 なぜなら、聖書はなんと言っているか、「アブラハムは神を信じた。それによって、彼は義と認められた」とある。

4:4 いったい、働く人に対する報酬は、恩恵としてではなく、当然の支払いとして認められる。

4:5 しかし、働きはなくても、不信心な者を義とするかたを信じる人は、その信仰が義と認められるのである。

4:6 ダビデもまた、行いがなくても神に義と認められた人の幸福について、次のように言っている、

4:7 「不法をゆるされ、罪をおおわれた人たちは、/さいわいである。

4:8 罪を主に認められない人は、さいわいである」。

 

文語訳1917

"450401","さらば我らの先祖アブラハムは肉につきて何を得たりと言はんか。"

"450402","アブラハムは若し行爲によりて義とせられたらんには誇るべき所あり、然れど神の前には有ることなし。"

"450403","聖書に何と云へるか『アブラハムは神を信ず、その信仰を義と認められたり』と。"

"450404","それ働く者への報酬は恩惠といはず、負債と認められる。"

"450405","されど働く事なくとも、敬虔ならぬ者を義としたまふ神を信ずる者は、その信仰を義と認めらるるなり。"

"450406","ダビデもまた行爲なくして神に義と認めらるる人の幸福につきて斯く云へり。曰く、"

"450407","『不法を免され、罪を蔽はれたる者は幸福なるかな、"

"450408","主が罪を認め給はぬ人は幸福なるかな』"

 

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各国聖書引照編集

 

(独)NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 27版1993 の引照

新共同 ガラ 2:16

2:16 けれども、人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、わたしたちもキリスト・イエスを信じました。これは、律法の実行ではなく、キリストへの信仰によって義としていただくためでした。なぜなら、律法の実行によっては、だれ一人として義とされないからです。

 

(英・米)THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE 1982 の引照

口語訳 ピリ 3:3-6

3:3 神の霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇とし、肉を頼みとしないわたしたちこそ、割礼の者である。

3:4 もとより、肉の頼みなら、わたしにも無くはない。もし、だれかほかの人が肉を頼みとしていると言うなら、わたしはそれをもっと頼みとしている。

3:5 わたしは八日目に割礼を受けた者、イスラエルの民族に属する者、ベニヤミン族の出身、ヘブル人の中のヘブル人、律法の上ではパリサイ人、

3:6 熱心の点では教会の迫害者、律法の義については落ち度のない者である。

 

口語訳 ロマ 3:20-28

3:20 なぜなら、律法を行うことによっては、すべての人間は神の前に義とせられないからである。律法によっては、罪の自覚が生じるのみである。

3:21 しかし今や、神の義が、律法とは別に、しかも律法と預言者とによってあかしされて、現された。

3:22 それは、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えられるものである。そこにはなんらの差別もない。

3:23 すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、

3:24 彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。

3:25 神はこのキリストを立てて、その血による、信仰をもって受くべきあがないの供え物とされた。それは神の義を示すためであった。すなわち、今までに犯された罪を、神は忍耐をもって見のがしておられたが、

3:26 それは、今の時に、神の義を示すためであった。こうして、神みずからが義となり、さらに、イエスを信じる者を義とされるのである。

3:27 すると、どこにわたしたちの誇があるのか。全くない。なんの法則によってか。行いの法則によってか。そうではなく、信仰の法則によってである。

3:28 わたしたちは、こう思う。人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるのである。

 

口語訳 ピリ 3:9

3:9 律法による自分の義ではなく、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基く神からの義を受けて、キリストのうちに自分を見いだすようになるためである。

 

口語訳 ガラ 6:13-14

6:13 事実、割礼のあるもの自身が律法を守らず、ただ、あなたがたの肉について誇りたいために、割礼を受けさせようとしているのである。

6:14 しかし、わたし自身には、わたしたちの主イエス・キリストの十字架以外に、誇とするものは、断じてあってはならない。この十字架につけられて、この世はわたしに対して死に、わたしもこの世に対して死んでしまったのである。

 

口語訳 ガラ 3:22

3:22 しかし、約束が、信じる人々にイエス・キリストに対する信仰によって与えられるために、聖書はすべての人を罪の下に閉じ込めたのである。

 

口語訳 ガラ 3:6-8

3:6 このように、アブラハムは「神を信じた。それによって、彼は義と認められた」のである。

3:7 だから、信仰による者こそアブラハムの子であることを、知るべきである。

3:8 聖書は、神が異邦人を信仰によって義とされることを、あらかじめ知って、アブラハムに、「あなたによって、すべての国民は祝福されるであろう」との良い知らせを、予告したのである。

 

口語訳 ロマ 11:6

11:6 しかし、恵みによるのであれば、もはや行いによるのではない。そうでないと、恵みはもはや恵みでなくなるからである。

 

口語訳 ロマ 10:3

10:3 なぜなら、彼らは神の義を知らないで、自分の義を立てようと努め、神の義に従わなかったからである。

 

口語訳 ガラ 2:16-17

2:16 人の義とされるのは律法の行いによるのではなく、ただキリスト・イエスを信じる信仰によることを認めて、わたしたちもキリスト・イエスを信じたのである。それは、律法の行いによるのではなく、キリストを信じる信仰によって義とされるためである。なぜなら、律法の行いによっては、だれひとり義とされることがないからである。

2:17 しかし、キリストにあって義とされることを求めることによって、わたしたち自身が罪人であるとされるのなら、キリストは罪に仕える者なのであろうか。断じてそうではない。

 

口語訳 ガラ 3:9-14

3:9 このように、信仰による者は、信仰の人アブラハムと共に、祝福を受けるのである。

3:10 いったい、律法の行いによる者は、皆のろいの下にある。「律法の書に書いてあるいっさいのことを守らず、これを行わない者は、皆のろわれる」と書いてあるからである。

3:11 そこで、律法によっては、神のみまえに義とされる者はひとりもないことが、明らかである。なぜなら、「信仰による義人は生きる」からである。

3:12 律法は信仰に基いているものではない。かえって、「律法を行う者は律法によって生きる」のである。

3:13 キリストは、わたしたちのためにのろいとなって、わたしたちを律法ののろいからあがない出して下さった。聖書に、「木にかけられる者は、すべてのろわれる」と書いてある。

3:14 それは、アブラハムの受けた祝福が、イエス・キリストにあって異邦人に及ぶためであり、約束された御霊を、わたしたちが信仰によって受けるためである。

 

口語訳 ロマ 5:6-8

5:6 わたしたちがまだ弱かったころ、キリストは、時いたって、不信心な者たちのために死んで下さったのである。

5:7 正しい人のために死ぬ者は、ほとんどいないであろう。善人のためには、進んで死ぬ者もあるいはいるであろう。

5:8 しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。

 

口語訳 Tコリ6:9-11

6:9 それとも、正しくない者が神の国をつぐことはないのを、知らないのか。まちがってはいけない。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、

6:10 貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者は、いずれも神の国をつぐことはないのである。

6:11 あなたがたの中には、以前はそんな人もいた。しかし、あなたがたは、主イエス・キリストの名によって、またわたしたちの神の霊によって、洗われ、きよめられ、義とされたのである。

 

口語訳 ガラ 3:8-9

3:8 聖書は、神が異邦人を信仰によって義とされることを、あらかじめ知って、アブラハムに、「あなたによって、すべての国民は祝福されるであろう」との良い知らせを、予告したのである。

3:9 このように、信仰による者は、信仰の人アブラハムと共に、祝福を受けるのである。

 

口語訳 Tコリ1:30

1:30 あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのである。キリストは神に立てられて、わたしたちの知恵となり、義と聖とあがないとになられたのである。

 

口語訳 Uコリ5:19-21

5:19 すなわち、神はキリストにおいて世をご自分に和解させ、その罪過の責任をこれに負わせることをしないで、わたしたちに和解の福音をゆだねられたのである。

5:20 神がわたしたちをとおして勧めをなさるのであるから、わたしたちはキリストの使者なのである。そこで、キリストに代って願う、神の和解を受けなさい。

5:21 神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかたを罪とされた。それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるためなのである。

 

(日)新共同訳1987の引照

新共同 Tコリ1:31

1:31 「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりになるためです。

 

新共同 ロマ 4:9

4:9 では、この幸いは、割礼を受けた者だけに与えられるのですか。それとも、割礼のない者にも及びますか。わたしたちは言います。「アブラハムの信仰が義と認められた」のです。

 

新共同 ロマ 4:22

4:22 だからまた、それが彼の義と認められたわけです。

 

新共同 ガラ 3:6

3:6 それは、「アブラハムは神を信じた。それは彼の義と認められた」と言われているとおりです。

 

新共同 ヤコ 2:23

2:23 「アブラハムは神を信じた。それが彼の義と認められた」という聖書の言葉が実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。

 

新共同 ロマ 11:6

11:6 もしそれが恵みによるとすれば、行いにはよりません。もしそうでなければ、恵みはもはや恵みではなくなります。

 

新共同 ロマ 3:22

3:22 すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。

 

(仏)THE NEW JERUSALEM BIBLE 1985 の引照

口語訳 ガラ 3:6-9

3:6 このように、アブラハムは「神を信じた。それによって、彼は義と認められた」のである。

3:7 だから、信仰による者こそアブラハムの子であることを、知るべきである。

3:8 聖書は、神が異邦人を信仰によって義とされることを、あらかじめ知って、アブラハムに、「あなたによって、すべての国民は祝福されるであろう」との良い知らせを、予告したのである。

3:9 このように、信仰による者は、信仰の人アブラハムと共に、祝福を受けるのである。

 

口語訳 ヤコ 2:14

2:14 わたしの兄弟たちよ。ある人が自分には信仰があると称していても、もし行いがなかったら、なんの役に立つか。その信仰は彼を救うことができるか。

 

口語訳 ヤコ 2:20-24

2:20 ああ、愚かな人よ。行いを伴わない信仰のむなしいことを知りたいのか。

2:21 わたしたちの父祖アブラハムは、その子イサクを祭壇にささげた時、行いによって義とされたのではなかったか。

2:22 あなたが知っているとおり、彼においては、信仰が行いと共に働き、その行いによって信仰が全うされ、

2:23 こうして、「アブラハムは神を信じた。それによって、彼は義と認められた」という聖書の言葉が成就し、そして、彼は「神の友」と唱えられたのである。

2:24 これでわかるように、人が義とされるのは、行いによるのであって、信仰だけによるのではない。

 

口語訳 ロマ 3:27

3:27 すると、どこにわたしたちの誇があるのか。全くない。なんの法則によってか。行いの法則によってか。そうではなく、信仰の法則によってである。

 

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ローマ 4:9−12

割礼のためではない

 

翻訳比較

 

岩波翻訳委員会訳1995

450409さて、この幸いは、割礼の上に〔臨むの〕か、それとも無割礼の上にも〔臨むの〕か。実際、私たちは、言う、「アブラハムにとっては、その信仰が義とみなされたのだ」と。450410では、どのようにして彼は〔義と〕みなされたのか。割礼のうちにあることによってか、それとも無割礼のうちに〔あることによってか〕。割礼においてではなく、むしろ無割礼においてである。

450411そして彼は、無割礼において信仰が義とされた証印として、割礼の徴を受けたのである。それは彼が、無割礼のままで信じたすべての者たちの父となるためであり、彼ら[もまた]、[その]義が認められるためである。

450412そして彼は、ただ割礼による者たちにとって〔父となった〕だけではなく、さらにまた、「私たちの父アブラハム」が無割礼〔の時〕にもっていた信仰の足跡に従って歩んでいる者たちにとっても、〔同様に〕割礼の父となったのである。

 

新共同訳1987

4:9 では、この幸いは、割礼を受けた者だけに与えられるのですか。それとも、割礼のない者にも及びますか。わたしたちは言います。「アブラハムの信仰が義と認められた」のです。

4:10 どのようにしてそう認められたのでしょうか。割礼を受けてからですか。それとも、割礼を受ける前ですか。割礼を受けてからではなく、割礼を受ける前のことです。

4:11 アブラハムは、割礼を受ける前に信仰によって義とされた証しとして、割礼の印を受けたのです。こうして彼は、割礼のないままに信じるすべての人の父となり、彼らも義と認められました。

4:12 更にまた、彼は割礼を受けた者の父、すなわち、単に割礼を受けているだけでなく、わたしたちの父アブラハムが割礼以前に持っていた信仰の模範に従う人々の父ともなったのです。

 

前田訳1978

4:9 さて、この讃美は割礼あるものについてですか、無割礼のものについてもですか。われらはいいます、「アブラハムの信仰が義と認められた」と。

4:10 どんな場合にそう認められましたか。割礼されてからですか、無割礼のときですか。割礼されてからではなく、無割礼のときです。

4:11 彼が割礼という徴を受けたのは、無割礼のときの信仰の義の保証としてです。それは彼が無割礼で信じて義と認められるものすべての父となるためです。

4:12 そしてまた、割礼があるだけでなく、われらの父アブラハムの無割礼のときの信仰の跡に従う人々の父になるためです。

 

新改訳1970

4:9 それでは、この幸いは、割礼のある者にだけ与えられるのでしょうか。それとも、割礼のない者にも与えられるのでしょうか。私たちは、「アブラハムには、その信仰が義とみなされた。」と言っていますが、

4:10 どのようにして、その信仰が義とみなされたのでしょうか。割礼を受けてからでしょうか。まだ割礼を受けていないときにでしょうか。割礼を受けてからではなく、割礼を受けていないときにです。

4:11 彼は、割礼を受けていないとき信仰によって義と認められたことの証印として、割礼というしるしを受けたのです。それは、彼が、割礼を受けないままで信じて義と認められるすべての人の父となり、

4:12 また割礼のある者の父となるためです。すなわち、割礼を受けているだけではなく、私たちの父アブラハムが無割礼のときに持った信仰の足跡に従って歩む者の父となるためです。

 

塚本訳1963

4:9 それではこの幸福の讃美は、割礼のある者(だけ)についてか、それとも割礼のない者にも及ぶのか。わたし達は(くりかえして)言う、『アブラハムの信仰が義と見なされた』と。

4:10 それではどんな場合に義とみなされたのか。割礼を受けた後か、それとも(まだ)割礼をうけない時か。割礼を受けた時でなく、割礼をうけない時である。

4:11 そしてアブラハムが(あとで)『割礼なる徴を』受けたのは、(まだ)『割礼をうけない』時、信仰によって義とされたことの証拠としてである。これは彼が、(一方ではユダヤ人でない信者、すなわち)割礼なしで信じて義とみなされるすべての人の父になるためであり、

4:12 また(他方ではユダヤ人の信者、すなわち)割礼があるだけでなく、わたし達の父アブラハムが割礼をうけない時(に信じて義と見なされたそ)の信仰の足跡を踏む、(まことの)割礼のある人たちの父になるためであった。

 

口語訳1955

4:9 さて、この幸福は、割礼の者だけが受けるのか。それとも、無割礼の者にも及ぶのか。わたしたちは言う、「アブラハムには、その信仰が義と認められた」のである。

4:10 それでは、どういう場合にそう認められたのか。割礼を受けてからか、それとも受ける前か。割礼を受けてからではなく、無割礼の時であった。

4:11 そして、アブラハムは割礼というしるしを受けたが、それは、無割礼のままで信仰によって受けた義の証印であって、彼が、無割礼のままで信じて義とされるに至るすべての人の父となり、

4:12 かつ、割礼の者の父となるためなのである。割礼の者というのは、割礼を受けた者ばかりではなく、われらの父アブラハムが無割礼の時に持っていた信仰の足跡を踏む人々をもさすのである。

 

文語訳1917

"450409","されば此の幸福はただ割禮ある者にのみあるか、また割禮なき者にもあるか、我らは言ふ『アブラハムはその信仰を義と認められたり』と。"

"450410","如何なるときに義と認められたるか、割禮ののちか、無割禮のときか、割禮の後ならず、無割禮の時なり。"

"450411","而して無割禮のときの信仰によれる義の印として割禮の徽を受けたり、これ無割禮にして信ずる凡ての者の義と認められん爲に、その父となり、"

"450412","また割禮のみに由らず、我らの父アブラハムの無割禮のときの信仰の跡をふむ割禮ある者の父とならん爲なり。"

 

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各国聖書引照編集

 

(独)NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 27版1993 の引照

新共同 ロマ 4:3

4:3 聖書には何と書いてありますか。「アブラハムは神を信じた。それが、彼の義と認められた」とあります。

 

新共同 エペ 1:13

1:13 あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。

 

(英・米)THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE 1982 の引照

口語訳 ロマ 10:12-13

10:12 ユダヤ人とギリシヤ人との差別はない。同一の主が万民の主であって、彼を呼び求めるすべての人を豊かに恵んで下さるからである。

10:13 なぜなら、「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」とあるからである。

 

口語訳 ガラ 3:14

3:14 それは、アブラハムの受けた祝福が、イエス・キリストにあって異邦人に及ぶためであり、約束された御霊を、わたしたちが信仰によって受けるためである。

 

口語訳 ガラ 5:6

5:6 キリスト・イエスにあっては、割礼があってもなくても、問題ではない。尊いのは、愛によって働く信仰だけである。

 

口語訳 ガラ 6:15

6:15 割礼のあるなしは問題ではなく、ただ、新しく造られることこそ、重要なのである。

 

口語訳 ロマ 2:28

2:28 というのは、外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、外見上の肉における割礼が割礼でもない。

 

口語訳 Uコリ1:22

1:22 神はまた、わたしたちに証印をおし、その保証として、わたしたちの心に御霊を賜わったのである。

 

口語訳 ピリ 3:9

3:9 律法による自分の義ではなく、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基く神からの義を受けて、キリストのうちに自分を見いだすようになるためである。

 

口語訳 ガラ 3:22

3:22 しかし、約束が、信じる人々にイエス・キリストに対する信仰によって与えられるために、聖書はすべての人を罪の下に閉じ込めたのである。

 

口語訳 ロマ 1:16

1:16 わたしは福音を恥としない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救を得させる神の力である。

 

口語訳 Tテサ2:13

2:13 これらのことを考えて、わたしたちがまた絶えず神に感謝しているのは、あなたがたがわたしたちの説いた神の言を聞いた時に、それを人間の言葉としてではなく、神の言として――事実そのとおりであるが――受けいれてくれたことである。そして、この神の言は、信じるあなたがたのうちに働いているのである。

 

(日)新共同訳1987の引照

新共同 ロマ 4:3

4:3 聖書には何と書いてありますか。「アブラハムは神を信じた。それが、彼の義と認められた」とあります。

 

新共同 Uコリ1:22

1:22 神はまた、わたしたちに証印を押して、保証としてわたしたちの心に"霊"を与えてくださいました。

 

新共同 エペ 1:13

1:13 あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。

 

新共同 エペ 4:30

4:30 神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、聖霊により、贖いの日に対して保証されているのです。

 

新共同 Uテモ2:19

2:19 しかし、神が据えられた堅固な基礎は揺るぎません。そこには、「主は御自分の者たちを知っておられる」と、また「主の名を呼ぶ者は皆、不義から身を引くべきである」と刻まれています。

 

新共同 ロマ 4:17-18

4:17 「わたしはあなたを多くの民の父と定めた」と書いてあるとおりです。死者に命を与え、存在していないものを呼び出して存在させる神を、アブラハムは信じ、その御前でわたしたちの父となったのです。

4:18 彼は希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じ、「あなたの子孫はこのようになる」と言われていたとおりに、多くの民の父となりました。

 

新共同 ロマ 2:25-26

2:25 あなたが受けた割礼も、律法を守ればこそ意味があり、律法を破れば、それは割礼を受けていないのと同じです。

2:26 だから、割礼を受けていない者が、律法の要求を実行すれば、割礼を受けていなくても、受けた者と見なされるのではないですか。

 

新共同 ロマ 4:11

4:11 アブラハムは、割礼を受ける前に信仰によって義とされた証しとして、割礼の印を受けたのです。こうして彼は、割礼のないままに信じるすべての人の父となり、彼らも義と認められました。

 

新共同 エペ 2:11

2:11 だから、心に留めておきなさい。あなたがたは以前には肉によれば異邦人であり、いわゆる手による割礼を身に受けている人々からは、割礼のない者と呼ばれていました。

 

新共同 Uコリ12:18

12:18 テトスにそちらに行くように願い、あの兄弟を同伴させましたが、そのテトスがあなたがたをだましたでしょうか。わたしたちは同じ霊に導かれ、同じ模範に倣って歩んだのではなかったのですか。

 

(仏)THE NEW JERUSALEM BIBLE 1985 の引照

口語訳 ガラ 3:7

3:7 だから、信仰による者こそアブラハムの子であることを、知るべきである。

 

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ローマ 4:13−17

律法の行いによらない

 

 

翻訳比較

 

岩波翻訳委員会訳1995

450413なぜならば、世界を受け継ぐ者となるという、アブラハムヘの、あるいは彼の子孫への約束は、律法をとおしてではなく、むしろ信仰の義をとおして〔なされた〕ものであったからである。

450414実際、もしも律法による者たちが〔世界を〕受け継ぐ者であるならば、信仰は空しくされてしまったことになり、約束は反古にされてしまったことになる。

450415事実、律法は怒りを生じさせるのであり、律法のないところには違反もない。

450416このゆえに、恵みに従って〔ことが生じるようになる〕ために、〔すべては〕信仰

によるのである。その結果、すべての子孫にとって、〔すなわち〕ただ律法による者にとってのみならず、アブラハムの信仰による者にとってもまた、約束は確固たるものとなる。このアブラハムこそ、私たちすべての者の父である。

450417次のように書かれている。すなわち、私は多くの民の父として、あなたを立てた、と。この方を彼は信じたのであり、その方は死者たちを生かし、そして無なるものを有なるものとして呼び出される神である。

 

新共同訳1987

4:13 神はアブラハムやその子孫に世界を受け継がせることを約束されたが、その約束は、律法に基づいてではなく、信仰による義に基づいてなされたのです。

4:14 律法に頼る者が世界を受け継ぐのであれば、信仰はもはや無意味であり、約束は廃止されたことになります。

4:15 実に、律法は怒りを招くものであり、律法のないところには違犯もありません。

4:16 従って、信仰によってこそ世界を受け継ぐ者となるのです。恵みによって、アブラハムのすべての子孫、つまり、単に律法に頼る者だけでなく、彼の信仰に従う者も、確実に約束にあずかれるのです。彼はわたしたちすべての父です。

4:17 「わたしはあなたを多くの民の父と定めた」と書いてあるとおりです。死者に命を与え、存在していないものを呼び出して存在させる神を、アブラハムは信じ、その御前でわたしたちの父となったのです。

 

前田訳1978

4:13 世界の相続人になるとの約束がアブラハムまたその末になされたのは、律法によらず、信仰の義によるものです。

4:14 律法によるものが相続人ならば、信仰はむなしく、約束は無になります。

4:15 律法は怒りをおこします。律法のないところには違反もありません。

4:16 それゆえ、この約束は(律法によらず)信仰によります。恩恵によって、彼の末すべてに、すなわち、律法による末だけでなく、アブラハムの信仰の末にも、約束が確保されるためです。彼はわれらすべての父です。

4:17 聖書に、「わたしはあなたを多くの民の父に定めた」とあるとおりです。それは、彼が信じた神、すなわち、死人を生かし、無いものを有るものとしてお呼び出しになる方の前においてです。

 

新改訳1970

4:13 というのは、世界の相続人となるという約束が、アブラハムに、あるいはまた、その子孫に与えられたのは、律法によってではなく、信仰の義によったからです。

4:14 もし律法による者が相続人であるとするなら、信仰はむなしくなり、約束は無効になってしまいます。

4:15 律法は怒りを招くものであり、律法のないところには違反もありません。

4:16 そのようなわけで、世界の相続人となることは、信仰によるのです。それは、恵みによるためであり、こうして約束がすべての子孫に、すなわち、律法を持っている人々にだけでなく、アブラハムの信仰にならう人々にも保証されるためなのです。「わたしは、あなたをあらゆる国の人々の父とした。」と書いてあるとおりに、アブラハムは私たちすべての者の父なのです。

4:17 このことは、彼が信じた神、すなわち死者を生かし、無いものを有るもののようにお呼びになる方の御前で、そうなのです。

 

塚本訳1963

4:13 (このように義とされるのは割礼に関係がない。)なぜなら、アブラハムとその子孫とが世界の相続人になるという約束(が与えられたの)は、(モーセ)律法(を行ったこと)によるのではなく、信仰の義によるからである。

4:14 律法を行う人たちだけが(世界の)相続人(になるの)であるなら、信仰はむだなものになり、約束は無になるのである。

4:15 律法(の目的)は、(人に罪を犯させ、神の)怒りをもたらす(ことにある)からである。律法のない所には、その違反もあり得ない。

4:16 そうであるから、(相続人にされるのは)信仰のゆえである。これは恩恵によらせるためであり、(アブラハムの)子孫全体に対して──ただ律法の子孫[ユダヤ人]だけでなく、アブラハムの信仰の(足跡を踏む)子孫[異教人]に対しても──(神の)約束が不動であるためである。彼はわたし達すべての者の(信仰の)父である。

4:17 『わたしはあなたを多くの国の人の父に決めた』と書いてあるとおりに。(ただし)それは、彼が信じた神、すなわち、死人を生かし、また無から有を呼び出される神の前においてである。

 

口語訳1955

4:13 なぜなら、世界を相続させるとの約束が、アブラハムとその子孫とに対してなされたのは、律法によるのではなく、信仰の義によるからである。

4:14 もし、律法に立つ人々が相続人であるとすれば、信仰はむなしくなり、約束もまた無効になってしまう。

4:15 いったい、律法は怒りを招くものであって、律法のないところには違反なるものはない。

4:16 このようなわけで、すべては信仰によるのである。それは恵みによるのであって、すべての子孫に、すなわち、律法に立つ者だけにではなく、アブラハムの信仰に従う者にも、この約束が保証されるのである。アブラハムは、神の前で、わたしたちすべての者の父であって、

4:17 「わたしは、あなたを立てて多くの国民の父とした」と書いてあるとおりである。彼はこの神、すなわち、死人を生かし、無から有を呼び出される神を信じたのである。

 

文語訳1917

"450413","アブラハム世界の世嗣たるべしとの約束を、アブラハムとその裔との與へられしは、律法に由らず、信仰の義に由れるなり。"

"450414","もし律法による者ども世嗣たらば、信仰は空しく約束は癈るなり。"

"450415","それ律法は怒りを招く、律法なき所には罪を犯すこともなし。"

"450416","この故に世嗣たることの恩惠に干らんために信仰に由るなり、是かの約束のアブラハムの凡ての裔、すなわち律法による裔のみならず、彼の信仰に效ふ裔にも堅うせられん爲なり。"

"450417","彼はその信じたる所の神、すなはち死人を活し、無きものを有るものの如く呼びたまふ神の前にて、苴凾キべての者の父たるなり。録して『われ汝を立てて多くの國人の父とせり』とあるが如し。"

 

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各国聖書引照編集

 

(独)NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 27版1993 の引照

新共同 ロマ 1:18

1:18 不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して、神は天から怒りを現されます。

 

新共同 Uペテ1:19

1:19 こうして、わたしたちには、預言の言葉はいっそう確かなものとなっています。夜が明け、明けの明星があなたがたの心の中に昇るときまで、暗い所に輝くともし火として、どうかこの預言の言葉に留意していてください。

 

(英・米)THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE 1982 の引照

口語訳 ガラ 3:18-24

3:18 もし相続が、律法に基いてなされるとすれば、もはや約束に基いたものではない。ところが事実、神は約束によって、相続の恵みをアブラハムに賜わったのである。

3:19 それでは、律法はなんであるか。それは違反を促すため、あとから加えられたのであって、約束されていた子孫が来るまで存続するだけのものであり、かつ、天使たちをとおし、仲介者の手によって制定されたものにすぎない。

3:20 仲介者なるものは、一方だけに属する者ではない。しかし、神はひとりである。

3:21 では、律法は神の約束と相いれないものか。断じてそうではない。もし人を生かす力のある律法が与えられていたとすれば、義はたしかに律法によって実現されたであろう。

3:22 しかし、約束が、信じる人々にイエス・キリストに対する信仰によって与えられるために、聖書はすべての人を罪の下に閉じ込めたのである。

3:23 しかし、信仰が現れる前には、わたしたちは律法の下で監視されており、やがて啓示される信仰の時まで閉じ込められていた。

3:24 このようにして律法は、信仰によって義とされるために、わたしたちをキリストに連れて行く養育掛となったのである。

 

口語訳 ガラ 5:2-4

5:2 見よ、このパウロがあなたがたに言う。もし割礼を受けるなら、キリストはあなたがたに用のないものになろう。

5:3 割礼を受けようとするすべての人たちに、もう一度言っておく。そういう人たちは、律法の全部を行う義務がある。

5:4 律法によって義とされようとするあなたがたは、キリストから離れてしまっている。恵みから落ちている。

 

口語訳 ロマ 1:17-18

1:17 神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。これは、「信仰による義人は生きる」と書いてあるとおりである。

1:18 神の怒りは、不義をもって真理をはばもうとする人間のあらゆる不信心と不義とに対して、天から啓示される。

 

口語訳 ロマ 2:5-6

2:5 あなたのかたくなな、悔改めのない心のゆえに、あなたは、神の正しいさばきの現れる怒りの日のために神の怒りを、自分の身に積んでいるのである。

2:6 神は、おのおのに、そのわざにしたがって報いられる。

 

口語訳 ロマ 3:19-20

3:19 さて、わたしたちが知っているように、すべて律法の言うところは、律法のもとにある者たちに対して語られている。それは、すべての口がふさがれ、全世界が神のさばきに服するためである。

3:20 なぜなら、律法を行うことによっては、すべての人間は神の前に義とせられないからである。律法によっては、罪の自覚が生じるのみである。

 

口語訳 ロマ 5:20-21

5:20 律法がはいり込んできたのは、罪過の増し加わるためである。しかし、罪の増し加わったところには、恵みもますます満ちあふれた。

5:21 それは、罪が死によって支配するに至ったように、恵みもまた義によって支配し、わたしたちの主イエス・キリストにより、永遠のいのちを得させるためである。

 

口語訳 ロマ 7:7-11

7:7 それでは、わたしたちは、なんと言おうか。律法は罪なのか。断じてそうではない。しかし、律法によらなければ、わたしは罪を知らなかったであろう。すなわち、もし律法が「むさぼるな」と言わなかったら、わたしはむさぼりなるものを知らなかったであろう。

7:8 しかるに、罪は戒めによって機会を捕え、わたしの内に働いて、あらゆるむさぼりを起させた。すなわち、律法がなかったら、罪は死んでいるのである。

7:9 わたしはかつては、律法なしに生きていたが、戒めが来るに及んで、罪は生き返り、

7:10 わたしは死んだ。そして、いのちに導くべき戒めそのものが、かえってわたしを死に導いて行くことがわかった。

7:11 なぜなら、罪は戒めによって機会を捕え、わたしを欺き、戒めによってわたしを殺したからである。

 

口語訳 Tコリ15:56

15:56 死のとげは罪である。罪の力は律法である。

 

口語訳 Uコリ3:7-9

3:7 もし石に彫りつけた文字による死の務が栄光のうちに行われ、そのためイスラエルの子らは、モーセの顔の消え去るべき栄光のゆえに、その顔を見つめることができなかったとすれば、

3:8 まして霊の務は、はるかに栄光あるものではなかろうか。

3:9 もし罪を宣告する務が栄光あるものだとすれば、義を宣告する務は、はるかに栄光に満ちたものである。

 

口語訳 ガラ 3:10

3:10 いったい、律法の行いによる者は、皆のろいの下にある。「律法の書に書いてあるいっさいのことを守らず、これを行わない者は、皆のろわれる」と書いてあるからである。

 

口語訳 ロマ 2:12-13

2:12 そのわけは、律法なしに罪を犯した者は、また律法なしに滅び、律法のもとで罪を犯した者は、律法によってさばかれる。

2:13 なぜなら、律法を聞く者が、神の前に義なるものではなく、律法を行う者が、義とされるからである。

 

口語訳 ロマ 5:13

5:13 というのは、律法以前にも罪は世にあったが、律法がなければ、罪は罪として認められないのである。

 

口語訳 ロマ 15:8

15:8 わたしは言う、キリストは神の真実を明らかにするために、割礼のある者の僕となられた。それは父祖たちの受けた約束を保証すると共に、

 

口語訳 ロマ 9:8

9:8 すなわち、肉の子がそのまま神の子なのではなく、むしろ約束の子が子孫として認められるのである。

 

口語訳 ロマ 8:11

8:11 もし、イエスを死人の中からよみがえらせたかたの御霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリスト・イエスを死人の中からよみがえらせたかたは、あなたがたの内に宿っている御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも、生かしてくださるであろう。

 

(日)新共同訳1987の引照

新共同 ロマ 9:8

9:8 すなわち、肉による子供が神の子供なのではなく、約束に従って生まれる子供が、子孫と見なされるのです。

 

新共同 ガラ 3:16

3:16 ところで、アブラハムとその子孫に対して約束が告げられましたが、その際、多くの人を指して「子孫たちとに」とは言われず、一人の人を指して「あなたの子孫とに」と言われています。この「子孫」とは、キリストのことです。

 

新共同 ガラ 3:29

3:29 あなたがたは、もしキリストのものだとするなら、とりもなおさず、アブラハムの子孫であり、約束による相続人です。

 

新共同 ヘブ 7:6

7:6 それなのに、レビ族の血統以外の者が、アブラハムから十分の一を受け取って、約束を受けている者を祝福したのです。

 

新共同 ガラ 3:18

3:18 相続が律法に由来するものなら、もはや、それは約束に由来するものではありません。しかし神は、約束によってアブラハムにその恵みをお与えになったのです。

 

新共同 ロマ 3:20

3:20 なぜなら、律法を実行することによっては、だれ一人神の前で義とされないからです。律法によっては、罪の自覚しか生じないのです。

 

新共同 ロマ 7:7

7:7 では、どういうことになるのか。律法は罪であろうか。決してそうではない。しかし、律法によらなければ、わたしは罪を知らなかったでしょう。たとえば、律法が「むさぼるな」と言わなかったら、わたしはむさぼりを知らなかったでしょう。

 

新共同 ロマ 7:10-25

7:10 わたしは死にました。そして、命をもたらすはずの掟が、死に導くものであることが分かりました。

7:11 罪は掟によって機会を得、わたしを欺き、そして、掟によってわたしを殺してしまったのです。

7:12 こういうわけで、律法は聖なるものであり、掟も聖であり、正しく、そして善いものなのです。

7:13 それでは、善いものがわたしにとって死をもたらすものとなったのだろうか。決してそうではない。実は、罪がその正体を現すために、善いものを通してわたしに死をもたらしたのです。このようにして、罪は限りなく邪悪なものであることが、掟を通して示されたのでした。

7:14 わたしたちは、律法が霊的なものであると知っています。しかし、わたしは肉の人であり、罪に売り渡されています。

7:15 わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。

7:16 もし、望まないことを行っているとすれば、律法を善いものとして認めているわけになります。

7:17 そして、そういうことを行っているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。

7:18 わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです。

7:19 わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。

7:20 もし、わたしが望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。

7:21 それで、善をなそうと思う自分には、いつも悪が付きまとっているという法則に気づきます。

7:22 「内なる人」としては神の律法を喜んでいますが、

7:23 わたしの五体にはもう一つの法則があって心の法則と戦い、わたしを、五体の内にある罪の法則のとりこにしているのが分かります。

7:24 わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。

7:25 わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。このように、わたし自身は心では神の律法に仕えていますが、肉では罪の法則に仕えているのです。

 

新共同 Tコリ15:56

15:56 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。

 

新共同 ガラ 3:10

3:10 律法の実行に頼る者はだれでも、呪われています。「律法の書に書かれているすべての事を絶えず守らない者は皆、呪われている」と書いてあるからです。

 

新共同 ロマ 3:22

3:22 すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。

 

新共同 ロマ 4:5

4:5 しかし、不信心な者を義とされる方を信じる人は、働きがなくても、その信仰が義と認められます。

 

新共同 ロマ 14:23

14:23 疑いながら食べる人は、確信に基づいて行動していないので、罪に定められます。確信に基づいていないことは、すべて罪なのです。

 

新共同 ロマ 15:8

15:8 わたしは言う。キリストは神の真実を現すために、割礼ある者たちに仕える者となられたのです。それは、先祖たちに対する約束を確証されるためであり、

 

新共同 ロマ 4:11

4:11 アブラハムは、割礼を受ける前に信仰によって義とされた証しとして、割礼の印を受けたのです。こうして彼は、割礼のないままに信じるすべての人の父となり、彼らも義と認められました。

 

新共同 ロマ 4:18

4:18 彼は希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じ、「あなたの子孫はこのようになる」と言われていたとおりに、多くの民の父となりました。

 

新共同 ガラ 3:8

3:8 聖書は、神が異邦人を信仰によって義となさることを見越して、「あなたのゆえに異邦人は皆祝福される」という福音をアブラハムに予告しました。

 

新共同 Uコリ1:9

1:9 わたしたちとしては死の宣告を受けた思いでした。それで、自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました。

 

新共同 ヘブ 11:19

11:19 アブラハムは、神が人を死者の中から生き返らせることもおできになると信じたのです。それで彼は、イサクを返してもらいましたが、それは死者の中から返してもらったも同然です。

 

(仏)THE NEW JERUSALEM BIBLE 1985 の引照

口語訳 ガラ 3:16-18

3:16 さて、約束は、アブラハムと彼の子孫とに対してなされたのである。それは、多数をさして「子孫たちとに」と言わずに、ひとりをさして「あなたの子孫とに」と言っている。これは、キリストのことである。

3:17 わたしの言う意味は、こうである。神によってあらかじめ立てられた契約が、四百三十年の後にできた律法によって破棄されて、その約束がむなしくなるようなことはない。

3:18 もし相続が、律法に基いてなされるとすれば、もはや約束に基いたものではない。ところが事実、神は約束によって、相続の恵みをアブラハムに賜わったのである。

 

口語訳 ガラ 3:10

3:10 いったい、律法の行いによる者は、皆のろいの下にある。「律法の書に書いてあるいっさいのことを守らず、これを行わない者は、皆のろわれる」と書いてあるからである。

 

口語訳 ロマ 5:13

5:13 というのは、律法以前にも罪は世にあったが、律法がなければ、罪は罪として認められないのである。

 

口語訳 ロマ 7:7

7:7 それでは、わたしたちは、なんと言おうか。律法は罪なのか。断じてそうではない。しかし、律法によらなければ、わたしは罪を知らなかったであろう。すなわち、もし律法が「むさぼるな」と言わなかったら、わたしはむさぼりなるものを知らなかったであろう。

 

口語訳 ヘブ 11:19

11:19 彼は、神が死人の中から人をよみがえらせる力がある、と信じていたのである。だから彼は、いわば、イサクを生きかえして渡されたわけである。

 

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ローマ 4:18−25

彼はわたしたち信ずる者の典型

 

 

翻訳比較

 

岩波翻訳委員会訳1995

450418アブラハムは、希望に抗(あらが)いつつ、〔しかもなお〕希望に基づいて信じた。そして〔聖書に〕あなたの子孫はこのようになるであろうと言われているように、彼は多くの民の父となったのである。

450419そして彼は、信仰において弱くなることはなかったが、百歳ほどになっていて[すでに]〔性的に〕死んだ状態になってしまっていた彼自身のからだと、〔妻〕サラの胎の死んだ状態とを、〔つぶさに〕見据えた。

450420しかし彼は、神の約束を不信仰をもって疑うことはせず、むしろ神に栄光を帰し、信仰において強められたのである。

450421また彼は、〔神は〕約束したこと〔は、これ〕を成就することもできる、ということを確信していた。

450422それゆえに、そのことは彼にとって[まさに]義とみなされたのである。

450423ところで、彼にとって〔義と〕みなされたということは、ただアブラハムのためにだけ書かれたのではなく、

450424私たちのためにも書かれたのである。その私たちにとっても、〔すなわち〕私たちの主なるイエスを死者たち〔の中〕から起こした方を信じる者たちにとっても、〔義と〕みなされることは〔たしかに〕起こる。

450425イエスは、私たちの罪過のゆえに〔死へと〕引き渡され、そして私たちの義のために〔死者たちの中から〕起こされたのである。

 

新共同訳1987

4:18 彼は希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じ、「あなたの子孫はこのようになる」と言われていたとおりに、多くの民の父となりました。

4:19 そのころ彼は、およそ百歳になっていて、既に自分の体が衰えており、そして妻サラの体も子を宿せないと知りながらも、その信仰が弱まりはしませんでした。

4:20 彼は不信仰に陥って神の約束を疑うようなことはなく、むしろ信仰によって強められ、神を賛美しました。

4:21 神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと、確信していたのです。

4:22 だからまた、それが彼の義と認められたわけです。

4:23 しかし、「それが彼の義と認められた」という言葉は、アブラハムのためだけに記されているのでなく、

4:24 わたしたちのためにも記されているのです。わたしたちの主イエスを死者の中から復活させた方を信じれば、わたしたちも義と認められます。

4:25 イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです。

 

前田訳1978

4:18 彼は望みえないことを望みつつ信じました。それで、「あなたの末はかくも多かろう」と言われたとおり、多くの民の父になりました。

4:19 百歳ほどであったので体が死んでおり、サラの胎も死んでいることを知りながら、信仰においては弱りませんでした。

4:20 不信をもって神の約束を疑わないばかりか、信仰において力づけられ、神に栄光を帰しました。

4:21 神はお約束のことをなす力がおありと確信していたのです。

4:22 それゆえ、彼は義と認められました。

4:23 聖書に「認められた」とあるのは、彼だけのためではなく、われらのためでもあります。

4:24 われらの主イエスを死人たちから復活させられた方を信ずるわれらも、そう認められねばなりません。

4:25 イエスはわれらの過ちのために死に渡され、われらが義とされるために復活させられた方です。

 

新改訳1970

4:18 彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。それは、「あなたの子孫はこのようになる。」と言われていたとおりに、彼があらゆる国の人々の父となるためでした。

4:19 アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。

4:20 彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、

4:21 神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。

4:22 だからこそ、それが彼の義とみなされたのです。

4:23 しかし、「彼の義とみなされた。」と書いてあるのは、ただ彼のためだけでなく、

4:24 また私たちのためです。すなわち、私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、その信仰を義とみなされるのです。

4:25 主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。

 

塚本訳1963

4:18 (まことに)アブラハムは(神の力を確信して、)望み得ないことを望んで信じたので、『あなたの子孫はあのように、(空の星のように多く)なるであろう』と言われた言葉のとおり、『多くの国の人の父』になったのである。

4:19 すなわち彼は信仰が弱らずに、ほとんど百歳であったので、自分の体が死んでしまっており、(妻)サラの胎も死んでいるのをよく知っていながら、

4:20 不信仰をもって神の約束を疑わないばかりか、かえって信仰が強くなり、神に栄光を帰した、

4:21 神は約束を果たす力を持っておられる(ので、子をお授けになる)と確信することによって。

4:22 このゆえに、『そのことが彼の義と見なされた』のである。

4:23 しかし(『彼の義と)みなされた』と書いてあるのは、彼だけのためではなく、

4:24 わたし達のためでもある。主イエスを死人の中から復活させられたお方[神]を信ずるわたし達も、(信仰によって義と)みなされねばならないからである。

4:25 このイエスこそ、わたし達の過ちのために死に引き渡され、またわたし達を義とするために復活された方である。

 

口語訳1955

4:18 彼は望み得ないのに、なおも望みつつ信じた。そのために、「あなたの子孫はこうなるであろう」と言われているとおり、多くの国民の父となったのである。

4:19 すなわち、およそ百歳となって、彼自身のからだが死んだ状態であり、また、サラの胎が不妊であるのを認めながらも、なお彼の信仰は弱らなかった。

4:20 彼は、神の約束を不信仰のゆえに疑うようなことはせず、かえって信仰によって強められ、栄光を神に帰し、

4:21 神はその約束されたことを、また成就することができると確信した。

4:22 だから、彼は義と認められたのである。

4:23 しかし「義と認められた」と書いてあるのは、アブラハムのためだけではなく、

4:24 わたしたちのためでもあって、わたしたちの主イエスを死人の中からよみがえらせたかたを信じるわたしたちも、義と認められるのである。

4:25 主は、わたしたちの罪過のために死に渡され、わたしたちが義とされるために、よみがえらされたのである。

 

文語訳1917

"450418","彼は望むべくもあらぬ時になほ望みて信じたり、是なんぢの裔はかくの如くなるべしと言ひ給ひしに隨ひて、多くの國人の父とならん爲なりき。"

"450419","かくて凡そ百歳に及びて己が身の死にたるがごとき状なると、サラの胎の死にたるが如きを認むれども、その信仰よわらず、"

"450420","不信をもて神の約束を疑はず、信仰により強くなりて神に榮光を歸し、"

"450421","その約し給へることを、成し得給ふと確信せり。"

"450422","之に由りて其の信仰を義と認められたり。"

"450423","斯く『義と認められたり』と録したるは、アブラハムの爲のみならず、また我らの爲なり。"

"450424","我らの主イエスを死人の中より甦へらせ給ひし者を信ずる我らも、その信仰を義と認められん。"

"450425","主は我らの罪のために付され、我らの義とせられん爲に甦へらせられ給へるなり。"

 

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各国聖書引照編集

 

(独)NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 27版1993 の引照

新共同 ロマ 4:3

4:3 聖書には何と書いてありますか。「アブラハムは神を信じた。それが、彼の義と認められた」とあります。

 

新共同 Tコリ9:10

9:10 それとも、わたしたちのために言っておられるのでしょうか。もちろん、わたしたちのためにそう書かれているのです。耕す者が望みを持って耕し、脱穀する者が分け前にあずかることを期待して働くのは当然です。

 

新共同 ロマ 8:11

8:11 もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう。

 

(英・米)THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE 1982 の引照

口語訳 Uコリ9:8

9:8 神はあなたがたにあらゆる恵みを豊かに与え、あなたがたを常にすべてのことに満ち足らせ、すべての良いわざに富ませる力のあるかたなのである。

 

口語訳 ロマ 15:4

15:4 これまでに書かれた事がらは、すべてわたしたちの教のために書かれたのであって、それは聖書の与える忍耐と慰めとによって、望みをいだかせるためである。

 

口語訳 Tコリ10:6

10:6 これらの出来事は、わたしたちに対する警告であって、彼らが悪をむさぼったように、わたしたちも悪をむさぼることのないためなのである。

 

口語訳 ロマ 10:9-10

10:9 すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。

10:10 なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。

 

口語訳 ロマ 3:25

3:25 神はこのキリストを立てて、その血による、信仰をもって受くべきあがないの供え物とされた。それは神の義を示すためであった。すなわち、今までに犯された罪を、神は忍耐をもって見のがしておられたが、

 

口語訳 ロマ 5:6-8

5:6 わたしたちがまだ弱かったころ、キリストは、時いたって、不信心な者たちのために死んで下さったのである。

5:7 正しい人のために死ぬ者は、ほとんどいないであろう。善人のためには、進んで死ぬ者もあるいはいるであろう。

5:8 しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。

 

口語訳 ロマ 8:3

8:3 律法が肉により無力になっているためになし得なかった事を、神はなし遂げて下さった。すなわち、御子を、罪の肉の様で罪のためにつかわし、肉において罪を罰せられたのである。

 

口語訳 Tコリ15:3-4

15:3 わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、

15:4 そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、

 

口語訳 Uコリ5:21

5:21 神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかたを罪とされた。それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるためなのである。

 

口語訳 ガラ 1:4

1:4 キリストは、わたしたちの父なる神の御旨に従い、わたしたちを今の悪の世から救い出そうとして、ご自身をわたしたちの罪のためにささげられたのである。

 

口語訳 ガラ 2:20

2:20 生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。

 

(日)新共同訳1987の引照

新共同 ロマ 4:11

4:11 アブラハムは、割礼を受ける前に信仰によって義とされた証しとして、割礼の印を受けたのです。こうして彼は、割礼のないままに信じるすべての人の父となり、彼らも義と認められました。

 

新共同 ロマ 4:17

4:17 「わたしはあなたを多くの民の父と定めた」と書いてあるとおりです。死者に命を与え、存在していないものを呼び出して存在させる神を、アブラハムは信じ、その御前でわたしたちの父となったのです。

 

新共同 ヘブ 11:12

11:12 それで、死んだも同様の一人の人から空の星のように、また海辺の数えきれない砂のように、多くの子孫が生まれたのです。

 

新共同 ロマ 11:20

11:20 そのとおりです。ユダヤ人は、不信仰のために折り取られましたが、あなたは信仰によって立っています。思い上がってはなりません。むしろ恐れなさい。

 

新共同 ロマ 11:23

11:23 彼らも、不信仰にとどまらないならば、接ぎ木されるでしょう。神は、彼らを再び接ぎ木することがおできになるのです。

 

新共同 ロマ 8:38

8:38 わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、

 

新共同 ロマ 14:5

14:5 ある日を他の日よりも尊ぶ人もいれば、すべての日を同じように考える人もいます。それは、各自が自分の心の確信に基づいて決めるべきことです。

 

新共同 ロマ 14:14

14:14 それ自体で汚れたものは何もないと、わたしは主イエスによって知り、そして確信しています。汚れたものだと思うならば、それは、その人にだけ汚れたものです。

 

新共同 ロマ 15:4

15:4 かつて書かれた事柄は、すべてわたしたちを教え導くためのものです。それでわたしたちは、聖書から忍耐と慰めを学んで希望を持ち続けることができるのです。

 

新共同 Tコリ9:9-10

9:9 モーセの律法に、「脱穀している牛に口籠をはめてはならない」と書いてあります。神が心にかけておられるのは、牛のことですか。

9:10 それとも、わたしたちのために言っておられるのでしょうか。もちろん、わたしたちのためにそう書かれているのです。耕す者が望みを持って耕し、脱穀する者が分け前にあずかることを期待して働くのは当然です。

 

新共同 Tコリ10:11

10:11 これらのことは前例として彼らに起こったのです。それが書き伝えられているのは、時の終わりに直面しているわたしたちに警告するためなのです。

 

新共同 ロマ 10:9

10:9 口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。

 

新共同 Tペテ1:21

1:21 あなたがたは、キリストを死者の中から復活させて栄光をお与えになった神を、キリストによって信じています。従って、あなたがたの信仰と希望とは神にかかっているのです。

 

新共同 ロマ 5:6-8

5:6 実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。

5:7 正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません。

5:8 しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。

 

新共同 ロマ 8:32

8:32 わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。

 

新共同 ロマ 3:28

3:28 なぜなら、わたしたちは、人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰によると考えるからです。

 

新共同 ロマ 5:18

5:18 そこで、一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです。

 

新共同 Tコリ15:17

15:17 そして、キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります。

 

新共同 Uコリ5:15

5:15 その一人の方はすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです。

 

(仏)THE NEW JERUSALEM BIBLE 1985 の引照

口語訳 ヘブ 11:1-2

11:1 さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。

11:2 昔の人たちは、この信仰のゆえに賞賛された。

 

口語訳 Tコリ10:6

10:6 これらの出来事は、わたしたちに対する警告であって、彼らが悪をむさぼったように、わたしたちも悪をむさぼることのないためなのである。

 

口語訳 Tペテ1:21

1:21 あなたがたは、このキリストによって、彼を死人の中からよみがえらせて、栄光をお与えになった神を信じる者となったのであり、したがって、あなたがたの信仰と望みとは、神にかかっているのである。

 

口語訳 ロマ 1:4

1:4 聖なる霊によれば、死人からの復活により、御力をもって神の御子と定められた。これがわたしたちの主イエス・キリストである。

 

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