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ローマ 7:1−6

古い夫律法は死んで新しい夫はキリスト

 

 

翻訳比較

 

岩波翻訳委員会訳1995

450701それとも、兄弟たちよ、あなたがたは知らないのか、(私は律法を知っている者たちに対して語っているのだが、)律法は人間を、その人が生きている期間だけ支配する〔にすぎない〕のだ、ということを。

450702事実、結婚している女性は、律法によって、生きている夫に結ばれている。しかし、もしも夫が死ねば、〔その時点で〕夫の律法から解放されたことになる。

450703それゆえに、夫が生きてしる時に、もしも彼女が他の男のものとなれば、彼女は姦婦と呼ばれるであろう。しかし、もしも夫が死ねば、彼女は〔夫の〕律法から自由であり、彼女が他の男のものとなっても、姦婦とはならない。

450704かくして、私の兄弟たちよ、あなたがたもまたキリストの〔死の〕からだをとおして、律法に対して死んだのである。それは、あなたがたが他者、〔すなわち〕死者たち〔の中〕から起こされた方のものとなるためである。〔それによって〕私たちは神に対して実をもたらすようになるのである。

450705私たちが肉のうちにあった時には、律法をとおしての罪の欲情が私たちの肢体のうちにあって働いていたのであり、その結果、死に対して実をもたらすことになったのだが、450706しかし今や、私たちが拘束されていたもの〔、すなわち律法〕に対して私たちは死んで、律法から解放されたのであり、その結果、文字の古さではなくて霊の新しさに私たちは隷属しているのである。

 

新共同訳1987

7:1 それとも、兄弟たち、わたしは律法を知っている人々に話しているのですが、律法とは、人を生きている間だけ支配するものであることを知らないのですか。

7:2 結婚した女は、夫の生存中は律法によって夫に結ばれているが、夫が死ねば、自分を夫に結び付けていた律法から解放されるのです。

7:3 従って、夫の生存中、他の男と一緒になれば、姦通の女と言われますが、夫が死ねば、この律法から自由なので、他の男と一緒になっても姦通の女とはなりません。

7:4 ところで、兄弟たち、あなたがたも、キリストの体に結ばれて、律法に対しては死んだ者となっています。それは、あなたがたが、他の方、つまり、死者の中から復活させられた方のものとなり、こうして、わたしたちが神に対して実を結ぶようになるためなのです。

7:5 わたしたちが肉に従って生きている間は、罪へ誘う欲情が律法によって五体の中に働き、死に至る実を結んでいました。

7:6 しかし今は、わたしたちは、自分を縛っていた律法に対して死んだ者となり、律法から解放されています。その結果、文字に従う古い生き方ではなく、“霊”に従う新しい生き方で仕えるようになっているのです。

 

前田訳1978

7:1 それとも、ご存じありませんか、兄弟たちよ、わたしは律法を知る人々に申しますが、律法は人が生きている間だけ人を支配します。

7:2 すなわち、とついだ女は夫が生きている間は律法によって彼に結ばれていますが、夫が死ねば、夫の律法から解放されます。

7:3 したがって、夫が生きている間に、ほかの男に行けば悪女と呼ばれますが、夫が死ねば、その律法から自由なので、ほかの男のものになっても悪女にはなりません。

7:4 それゆえ、わが兄弟たちよ、キリストの体によってあなた方も律法に対して殺されたのです。これはあなた方がほかのもの、すなわち死人の中から復活された方のものになって、われらが神に対して実るためです。

7:5 それは、われらが肉にあったときには、律法による罪の欲情が肢体の中にはたらいて、われらが死への実りをしたからです。

7:6 今や縛られていた律法に対して死んで、律法から解放されたので、われらは古い文字によらず、新しい霊によって神に仕えるのです。

 

新改訳1970

7:1 それとも、兄弟たち。あなたがたは、律法が人に対して権限を持つのは、その人の生きている期間だけだ、ということを知らないのですか。――私は律法を知っている人々に言っているのです。――

7:2 夫のある女は、夫が生きている間は、律法によって夫に結ばれています。しかし、夫が死ねば、夫に関する律法から解放されます。

7:3 ですから、夫が生きている間に他の男に行けば、姦淫の女と呼ばれるのですが、夫が死ねば、律法から解放されており、たとい他の男に行っても、姦淫の女ではありません。

7:4 私の兄弟たちよ。それと同じように、あなたがたも、キリストのからだによって、律法に対しては死んでいるのです。それは、あなたがたが他の人、すなわち死者の中からよみがえった方と結ばれて、神のために実を結ぶようになるためです。

7:5 私たちが肉にあったときは、律法による数々の罪の欲情が私たちのからだの中に働いていて、死のために実を結びました。

7:6 しかし、今は、私たちは自分を捕えていた律法に対して死んだので、それから解放され、その結果、古い文字にはよらず、新しい御霊によって仕えているのです。

 

塚本訳1963

7:1 それとも、あなた達は知らないのか、兄弟たちよ、──これは法律を知っている人たちに言うのだが──法律は人が生きている間だけ人を支配するのである。

7:2 たとえば、結婚した婦人は夫が生きているうちは法律によって(夫に)結びつけられているが、夫が死ねば、(彼女を夫に結びつける)夫の法律から解かれる。

7:3 従って、夫が生きているうちにほかの男のものになれば、姦婦と言われるけれども、夫が死ねば、たとえほかの男のものになっても、(夫の)法律から自由(の身)であるから、姦婦ではない。

7:4 だから、わたしの兄弟たちよ、(あなた達と律法との関係も同じである。)キリストの体(が十字架の上で死んだこと)によって、あなた達も律法との関係では(一しょに)殺されたのである。これはあなた達が(古い夫である律法の束縛をはなれ、)ほかの者、すなわち死人の中から復活された方、(新しい夫キリスト)のものになって、わたし達が神のために(善い)実を結ぶためである。

7:5 なぜなら、わたし達が(生まれたままの)肉にあっ(て生きてい)た時には、律法(の刺激)による罪の情熱が肢体の中に働いて、わたし達は死のために(滅びの)実を結んだからである。

7:6 しかし今は縛られていた律法に対して死に、律法から解かれたので、(律法の)古い文字によらず、(福音の)新しい霊において(神に)仕えるのである。

 

口語訳1955

7:1 それとも、兄弟たちよ。あなたがたは知らないのか。わたしは律法を知っている人々に語るのであるが、律法は人をその生きている期間だけ支配するものである。

7:2 すなわち、夫のある女は、夫が生きている間は、律法によって彼につながれている。しかし、夫が死ねば、夫の律法から解放される。

7:3 であるから、夫の生存中に他の男に行けば、その女は淫婦と呼ばれるが、もし夫が死ねば、その律法から解かれるので、他の男に行っても、淫婦とはならない。

7:4 わたしの兄弟たちよ。このように、あなたがたも、キリストのからだをとおして、律法に対して死んだのである。それは、あなたがたが他の人、すなわち、死人の中からよみがえられたかたのものとなり、こうして、わたしたちが神のために実を結ぶに至るためなのである。

7:5 というのは、わたしたちが肉にあった時には、律法による罪の欲情が、死のために実を結ばせようとして、わたしたちの肢体のうちに働いていた。

7:6 しかし今は、わたしたちをつないでいたものに対して死んだので、わたしたちは律法から解放され、その結果、古い文字によってではなく、新しい霊によって仕えているのである。

 

文語訳1917

"450701","兄弟よ、なんぢら知らぬか、(われ律法を知る者に語る)律法は人の生ける間のみ之に主たるなり。"

"450702","夫ある婦は律法によりて夫の生ける中は之に縛らる。然れど夫死なば夫の律法より解かるるなり。"

"450703","されば夫の生ける中に他の人に適かば淫婦と稱へらるれど、夫死なばその律法より解放さるる故に、他の人に適くとも淫婦とはならぬなり。"

"450704","わが兄弟よ、斯のごとく汝等もキリストの體により律法に就きて死にたり。これ他の者、すなはち死人の中より甦へらせられ給ひし者に適き、神のために實を結ばん爲なり。"

"450705","われら肉に在りしとき、律法に由れる罪の情は我らの肢體のうちに働きて、死のために實を結ばせたり。"

"450706","さ黷ヌ縛られたる所に就きて我等いま死にて律法より解かれたれば、儀文の舊きによらず、靈の新しきに從ひて事ふることを得るなり。  "

 

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各国聖書引照編集

 

(独)NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 27版1993 の引照

新共同 ロマ 6:4

6:4 わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。

 

(英・米)THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE 1982 の引照

口語訳 ロマ 2:17-18

2:17 もしあなたが、自らユダヤ人と称し、律法に安んじ、神を誇とし、

2:18 御旨を知り、律法に教えられて、なすべきことをわきまえており、

 

口語訳 Tコリ7:4

7:4 妻は自分のからだを自由にすることはできない。それができるのは夫である。夫も同様に自分のからだを自由にすることはできない。それができるのは妻である。

 

口語訳 ロマ 8:2

8:2 なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則は、罪と死との法則からあなたを解放したからである。

 

口語訳 ガラ 2:19-20

2:19 わたしは、神に生きるために、律法によって律法に死んだ。わたしはキリストと共に十字架につけられた。

2:20 生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。

 

口語訳 ガラ 3:13

3:13 キリストは、わたしたちのためにのろいとなって、わたしたちを律法ののろいからあがない出して下さった。聖書に、「木にかけられる者は、すべてのろわれる」と書いてある。

 

口語訳 ガラ 5:18

5:18 もしあなたがたが御霊に導かれるなら、律法の下にはいない。

 

口語訳 ガラ 5:22-23

5:22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、

5:23 柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。

 

口語訳 ピリ 1:11

1:11 イエス・キリストによる義の実に満たされて、神の栄光とほまれとをあらわすに至るように。

 

口語訳 ピリ 4:17

4:17 わたしは、贈り物を求めているのではない。わたしの求めているのは、あなたがたの勘定をふやしていく果実なのである。

 

口語訳 ロマ 8:8-9

8:8 また、肉にある者は、神を喜ばせることができない。

8:9 しかし、神の御霊があなたがたの内に宿っているなら、あなたがたは肉におるのではなく、霊におるのである。もし、キリストの霊を持たない人がいるなら、その人はキリストのものではない。

 

口語訳 ガラ 5:16-17

5:16 わたしは命じる、御霊によって歩きなさい。そうすれば、決して肉の欲を満たすことはない。

5:17 なぜなら、肉の欲するところは御霊に反し、また御霊の欲するところは肉に反するからである。こうして、二つのものは互に相さからい、その結果、あなたがたは自分でしようと思うことを、することができないようになる。

 

口語訳 ロマ 3:20

3:20 なぜなら、律法を行うことによっては、すべての人間は神の前に義とせられないからである。律法によっては、罪の自覚が生じるのみである。

 

口語訳 ガラ 5:19-21

5:19 肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、

5:20 偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、

5:21 ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。わたしは以前も言ったように、今も前もって言っておく。このようなことを行う者は、神の国をつぐことがない。

 

口語訳 ガラ 4:4

4:4 しかし、時の満ちるに及んで、神は御子を女から生れさせ、律法の下に生れさせて、おつかわしになった。

 

口語訳 ロマ 2:27-29

2:27 かつ、生れながら無割礼の者であって律法を全うする者は、律法の文字と割礼とを持ちながら律法を犯しているあなたを、さばくのである。

2:28 というのは、外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、外見上の肉における割礼が割礼でもない。

2:29 かえって、隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、また、文字によらず霊による心の割礼こそ割礼であって、そのほまれは人からではなく、神から来るのである。

 

口語訳 ロマ 12:2

12:2 あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。

 

口語訳 Uコリ5:17

5:17 だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。

 

口語訳 ピリ 3:3

3:3 神の霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇とし、肉を頼みとしないわたしたちこそ、割礼の者である。

 

口語訳 Uコリ3:6

3:6 神はわたしたちに力を与えて、新しい契約に仕える者とされたのである。それは、文字に仕える者ではなく、霊に仕える者である。文字は人を殺し、霊は人を生かす。

 

(日)新共同訳1987の引照

新共同 ロマ 1:13

1:13 兄弟たち、ぜひ知ってもらいたい。ほかの異邦人のところと同じく、あなたがたのところでも何か実りを得たいと望んで、何回もそちらに行こうと企てながら、今日まで妨げられているのです。

 

新共同 ロマ 6:16

6:16 知らないのですか。あなたがたは、だれかに奴隷として従えば、その従っている人の奴隷となる。つまり、あなたがたは罪に仕える奴隷となって死に至るか、神に従順に仕える奴隷となって義に至るか、どちらかなのです。

 

新共同 Tコリ7:39

7:39 妻は夫が生きている間は夫に結ばれていますが、夫が死ねば、望む人と再婚してもかまいません。ただし、相手は主に結ばれている者に限ります。

 

新共同 ロマ 7:6-7

7:6 しかし今は、わたしたちは、自分を縛っていた律法に対して死んだ者となり、律法から解放されています。その結果、文字に従う古い生き方ではなく、"霊"に従う新しい生き方で仕えるようになっているのです。

◆内在する罪の問題

7:7 では、どういうことになるのか。律法は罪であろうか。決してそうではない。しかし、律法によらなければ、わたしは罪を知らなかったでしょう。たとえば、律法が「むさぼるな」と言わなかったら、わたしはむさぼりを知らなかったでしょう。

 

新共同 コロ 1:22

1:22 しかし今や、神は御子の肉の体において、その死によってあなたがたと和解し、御自身の前に聖なる者、きずのない者、とがめるところのない者としてくださいました。

 

新共同 ロマ 8:2

8:2 キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、罪と死との法則からあなたを解放したからです。

 

新共同 ガラ 2:19

2:19 わたしは神に対して生きるために、律法に対しては律法によって死んだのです。わたしは、キリストと共に十字架につけられています。

 

新共同 ガラ 5:18

5:18 しかし、霊に導かれているなら、あなたがたは、律法の下にはいません。

 

新共同 ロマ 6:2

6:2 決してそうではない。罪に対して死んだわたしたちが、どうして、なおも罪の中に生きることができるでしょう。

 

新共同 ロマ 8:8-9

8:8 肉の支配下にある者は、神に喜ばれるはずがありません。

8:9 神の霊があなたがたの内に宿っているかぎり、あなたがたは、肉ではなく霊の支配下にいます。キリストの霊を持たない者は、キリストに属していません。

 

新共同 Uコリ10:3

10:3 わたしたちは肉において歩んでいますが、肉に従って戦うのではありません。

 

新共同 ロマ 7:7-8

7:7 では、どういうことになるのか。律法は罪であろうか。決してそうではない。しかし、律法によらなければ、わたしは罪を知らなかったでしょう。たとえば、律法が「むさぼるな」と言わなかったら、わたしはむさぼりを知らなかったでしょう。

7:8 ところが、罪は掟によって機会を得、あらゆる種類のむさぼりをわたしの内に起こしました。律法がなければ罪は死んでいるのです。

 

新共同 ロマ 6:9

6:9 そして、死者の中から復活させられたキリストはもはや死ぬことがない、と知っています。死は、もはやキリストを支配しません。

 

新共同 ロマ 6:21-23

6:21 では、そのころ、どんな実りがありましたか。あなたがたが今では恥ずかしいと思うものです。それらの行き着くところは、死にほかならない。

6:22 あなたがたは、今は罪から解放されて神の奴隷となり、聖なる生活の実を結んでいます。行き着くところは、永遠の命です。

6:23 罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。

 

新共同 ロマ 7:2-4

7:2 結婚した女は、夫の生存中は律法によって夫に結ばれているが、夫が死ねば、自分を夫に結び付けていた律法から解放されるのです。

7:3 従って、夫の生存中、他の男と一緒になれば、姦通の女と言われますが、夫が死ねば、この律法から自由なので、他の男と一緒になっても姦通の女とはなりません。

7:4 ところで、兄弟たち、あなたがたも、キリストの体に結ばれて、律法に対しては死んだ者となっています。それは、あなたがたが、他の方、つまり、死者の中から復活させられた方のものとなり、こうして、わたしたちが神に対して実を結ぶようになるためなのです。

 

新共同 ロマ 2:29

2:29 内面がユダヤ人である者こそユダヤ人であり、文字ではなく"霊"によって心に施された割礼こそ割礼なのです。その誉れは人からではなく、神から来るのです。

 

新共同 Uコリ3:6

3:6 神はわたしたちに、新しい契約に仕える資格、文字ではなく霊に仕える資格を与えてくださいました。文字は殺しますが、霊は生かします。

 

新共同 ロマ 6:4

6:4 わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。

 

(仏)THE NEW JERUSALEM BIBLE 1985 の引照

口語訳 Tコリ7:39

7:39 妻は夫が生きている間は、その夫につながれている。夫が死ねば、望む人と結婚してもさしつかえないが、それは主にある者とに限る。

 

口語訳 ロマ 6:5-6

6:5 もしわたしたちが、彼に結びついてその死の様にひとしくなるなら、さらに、彼の復活の様にもひとしくなるであろう。

6:6 わたしたちは、この事を知っている。わたしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられた。それは、この罪のからだが滅び、わたしたちがもはや、罪の奴隷となることがないためである。

 

口語訳 ガラ 2:19

2:19 わたしは、神に生きるために、律法によって律法に死んだ。わたしはキリストと共に十字架につけられた。

 

口語訳 ロマ 6:8-11

6:8 もしわたしたちが、キリストと共に死んだなら、また彼と共に生きることを信じる。

6:9 キリストは死人の中からよみがえらされて、もはや死ぬことがなく、死はもはや彼を支配しないことを、知っているからである。

6:10 なぜなら、キリストが死んだのは、ただ一度罪に対して死んだのであり、キリストが生きるのは、神に生きるのだからである。

6:11 このように、あなたがた自身も、罪に対して死んだ者であり、キリスト・イエスにあって神に生きている者であることを、認むべきである。

 

口語訳 ロマ 6:22

6:22 しかし今や、あなたがたは罪から解放されて神に仕え、きよきに至る実を結んでいる。その終極は永遠のいのちである。

 

口語訳 ロマ 7:7-8

7:7 それでは、わたしたちは、なんと言おうか。律法は罪なのか。断じてそうではない。しかし、律法によらなければ、わたしは罪を知らなかったであろう。すなわち、もし律法が「むさぼるな」と言わなかったら、わたしはむさぼりなるものを知らなかったであろう。

7:8 しかるに、罪は戒めによって機会を捕え、わたしの内に働いて、あらゆるむさぼりを起させた。すなわち、律法がなかったら、罪は死んでいるのである。

 

口語訳 ロマ 6:7

6:7 それは、すでに死んだ者は、罪から解放されているからである。

 

口語訳 ロマ 2:29

2:29 かえって、隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、また、文字によらず霊による心の割礼こそ割礼であって、そのほまれは人からではなく、神から来るのである。

 

口語訳 Uコリ3:6

3:6 神はわたしたちに力を与えて、新しい契約に仕える者とされたのである。それは、文字に仕える者ではなく、霊に仕える者である。文字は人を殺し、霊は人を生かす。

 

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ローマ 7:7−13

律法は罪でなく聖であり善

 

 

翻訳比較

 

岩波翻訳委員会訳1995

450707それでは、私たちは何と言うのであろうか。律法は罪〔であるとでも言うの〕だろうか。断じてそんなことはあってはならない。しかし私は、律法をとおしてでなければ、罪を知ることはなかったであろう。実際、もしも律法が「あなたは欲望をもってはならない」と言わなかったならば、私は欲望〔なるもの〕を知らなかったであろう。

450708しかし、罪は誡めによってきっかけを得て、私のうちにすべての欲望を

生じさせたのである。なぜならば、律法がなければ罪は死んでいるからである。

450709私は、かつては律法によらずに生きていた。しかし、誡めがやってきた時、罪は

生き返り、

450710私は逆に死んだ。そして生命へと至る〔はずの〕誡めそのものが、死へと至る誠めであることを、私は見いだしたのである。

450711罪は誡めによってきっかけを得て、私を欺き、そしてその誡めによって、〔私を〕殺したのだからである。

450712かくして、律法〔そのもの〕は聖いものであり、そして誡めも聖く、そして義しく、そして善いものなのである。

450713それでは善いものが、私にとって死となったのだろうか。断じてそんなことはあってはならない。むしろ〔死となったのは〕罪である。それは、善いものをとおして私に死を生じさせつつ、罪が露(あら)わにされるためである。そのために、罪は誡めによって、はなはだしく罪深いものとなった。

 

新共同訳1987

7:7 では、どういうことになるのか。律法は罪であろうか。決してそうではない。しかし、律法によらなければ、わたしは罪を知らなかったでしょう。たとえば、律法が「むさぼるな」と言わなかったら、わたしはむさぼりを知らなかったでしょう。

7:8 ところが、罪は掟によって機会を得、あらゆる種類のむさぼりをわたしの内に起こしました。律法がなければ罪は死んでいるのです。

7:9 わたしは、かつては律法とかかわりなく生きていました。しかし、掟が登場したとき、罪が生き返って、

7:10 わたしは死にました。そして、命をもたらすはずの掟が、死に導くものであることが分かりました。

7:11 罪は掟によって機会を得、わたしを欺き、そして、掟によってわたしを殺してしまったのです。

7:12 こういうわけで、律法は聖なるものであり、掟も聖であり、正しく、そして善いものなのです。

7:13 それでは、善いものがわたしにとって死をもたらすものとなったのだろうか。決してそうではない。実は、罪がその正体を現すために、善いものを通してわたしに死をもたらしたのです。このようにして、罪は限りなく邪悪なものであることが、掟を通して示されたのでした。

 

前田訳1978

7:7 それなら、われらは何といいましょう。律法は罪でしょうか。断じて否です。むしろ律法によらねばわたしは罪を知らなかったのです。律法が、「欲ばるな」といわねば、わたしは欲を知らなかったでしょう。

7:8 しかし罪は掟によって機会を得、あらゆる欲をわがうちにおこしました。律法がなければ罪は死んだものです。

7:9 わたしはかつては律法なしで生きていました。しかし掟が来ると、罪が生きかえって、

7:10 わたしは死にました。そして、いのちのための掟そのものが、死のためのものになったことがわたしにわかりました。

7:11 罪は掟によって機会を得てわたしを迷わし、掟によって殺しました。

7:12 それゆえ、律法は聖であり、掟も聖で義で善です。

7:13 それなら、善がわたしにとっては死になったのでしょうか。断じて否です。罪が罪として現われるために善によってわたしに死をもたらしたのです。これは罪が掟によっていっそう罪らしくなるためです。

 

新改訳1970

7:7 それでは、どういうことになりますか。律法は罪なのでしょうか。絶対にそんなことはありません。ただ、律法によらないでは、私は罪を知ることがなかったでしょう。律法が、「むさぼってはならない。」と言わなかったら、私はむさぼりを知らなかったでしょう。

7:8 しかし、罪はこの戒めによって機会を捕え、私のうちにあらゆるむさぼりを引き起こしました。律法がなければ、罪は死んだものです。

7:9 私はかつて律法なしに生きていましたが、戒めが来たときに、罪が生き、私は死にました。

7:10 それで私には、いのちに導くはずのこの戒めが、かえって死に導くものであることが、わかりました。

7:11 それは、戒めによって機会を捕えた罪が私を欺き、戒めによって私を殺したからです。

7:12 ですから、律法は聖なるものであり、戒めも聖であり、正しく、また良いものなのです。

7:13 では、この良いものが、私に死をもたらしたのでしょうか。絶対にそんなことはありません。それはむしろ、罪なのです。罪は、この良いもので私に死をもたらすことによって、罪として明らかにされ、戒めによって、極度に罪深いものとなりました。

 

塚本訳1963

7:7 それでは、どういうことになるのだろうか。律法(自体)が罪であろうか。もちろん、そうではない。(しかし罪と無関係ではない。)むしろ律法によらなければ、わたしは罪を知らなかった。なぜなら、律法が『(人のものを)欲しがってはならない』と言わなければ、わたしは欲を知らなかったであろう。

7:8 ところが(『人のものを欲しがってはならない』という掟が来ると、今まで眠っていた)罪は(目をさまし、)掟(に反抗しこれ)を利用して、ありとあらゆる欲をわたしの中に起こした。すなわち、律法がなければ罪は死んでいるのである。

7:9 かつて律法のない時には、(罪が死んでいて)わたしは(子供のように罪を知らずに)生きていた。しかし掟が来ると、(わたしの中の)罪が生きかえり、

7:10 (今度は)わたしの方が(罪によって)死んでしまった。(こうして)命へ導く使命を持つ掟そのものが、(実際はかえってわたしを)死へ導くものになったことが、わたしにわかった。

7:11 なぜなら、罪は掟を利用してわたしを惑わし、掟によって(わたしを)殺したからである。

7:12 だから律法自体は聖であり、掟も聖であり、義であり善である。

7:13 それでは、善いものがわたしにとって死(をもたらすもの)になったのだろうか。もちろん、そうではない。罪は罪であることが現われるために、善いものによって、(律法という善いものを悪用して、)わたしに死をもたらしたのである。これは掟によって、罪が一層はっきり罪になるためである。

 

口語訳1955

7:7 それでは、わたしたちは、なんと言おうか。律法は罪なのか。断じてそうではない。しかし、律法によらなければ、わたしは罪を知らなかったであろう。すなわち、もし律法が「むさぼるな」と言わなかったら、わたしはむさぼりなるものを知らなかったであろう。

7:8 しかるに、罪は戒めによって機会を捕え、わたしの内に働いて、あらゆるむさぼりを起させた。すなわち、律法がなかったら、罪は死んでいるのである。

7:9 わたしはかつては、律法なしに生きていたが、戒めが来るに及んで、罪は生き返り、

7:10 わたしは死んだ。そして、いのちに導くべき戒めそのものが、かえってわたしを死に導いて行くことがわかった。

7:11 なぜなら、罪は戒めによって機会を捕え、わたしを欺き、戒めによってわたしを殺したからである。

7:12 このようなわけで、律法そのものは聖なるものであり、戒めも聖であって、正しく、かつ善なるものである。

7:13 では、善なるものが、わたしにとって死となったのか。断じてそうではない。それはむしろ、罪の罪たることが現れるための、罪のしわざである。すなわち、罪は、戒めによって、はなはだしく悪性なものとなるために、善なるものによってわたしを死に至らせたのである。

 

文語訳1917

"450707","さらば何をか言はん、律法は罪なるか、決して然らず、律法に由らでは、われ罪を知らず、律法に『貪る勿れ』と言わずば、慳貪を知らざりき。"

"450708","されど罪は機に乘じ誡命によりて各樣の慳貪を我がうちに起せり、律法なくば罪は死にたるものなり。"

"450709","われ曾て律法なくして生きたれど、誡命きたりし時に罪は生き、我は死にたり。"

"450710","而して我は生命にいたるべき誡命の反つて死に到らしむるを見出せり。"

"450711","これ罪は機に乘じ誡命によりて我を欺き、かつ之によりて我を殺せり。"

"450712","それ律法は聖なり、誡命もまた聖にして正しく、かつ善なり。"

"450713","されば善なるもの我に死となりたるか。決して然らず、罪は罪たることの現れんために、善なる者によりて我が内に死を來たらせたるなり。これ誡命によりて罪の甚だしき惡とならん爲なり。"

 

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各国聖書引照編集

 

(独)NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 27版1993 の引照

新共同 ロマ 4:15

4:15 実に、律法は怒りを招くものであり、律法のないところには違犯もありません。

 

(英・米)THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE 1982 の引照

口語訳 ロマ 6:2

6:2 断じてそうではない。罪に対して死んだわたしたちが、どうして、なお、その中に生きておれるだろうか。

 

口語訳 ロマ 4:15

4:15 いったい、律法は怒りを招くものであって、律法のないところには違反なるものはない。

 

口語訳 ロマ 8:7

8:7 なぜなら、肉の思いは神に敵するからである。すなわち、それは神の律法に従わず、否、従い得ないのである。

 

口語訳 Tコリ15:56

15:56 死のとげは罪である。罪の力は律法である。

 

口語訳 ピリ 3:5-6

3:5 わたしは八日目に割礼を受けた者、イスラエルの民族に属する者、ベニヤミン族の出身、ヘブル人の中のヘブル人、律法の上ではパリサイ人、

3:6 熱心の点では教会の迫害者、律法の義については落ち度のない者である。

 

口語訳 ロマ 3:20

3:20 なぜなら、律法を行うことによっては、すべての人間は神の前に義とせられないからである。律法によっては、罪の自覚が生じるのみである。

 

口語訳 Uコリ3:7

3:7 もし石に彫りつけた文字による死の務が栄光のうちに行われ、そのためイスラエルの子らは、モーセの顔の消え去るべき栄光のゆえに、その顔を見つめることができなかったとすれば、

 

口語訳 ロマ 4:5

4:5 しかし、働きはなくても、不信心な者を義とするかたを信じる人は、その信仰が義と認められるのである。

 

口語訳 ガラ 3:10-12

3:10 いったい、律法の行いによる者は、皆のろいの下にある。「律法の書に書いてあるいっさいのことを守らず、これを行わない者は、皆のろわれる」と書いてあるからである。

3:11 そこで、律法によっては、神のみまえに義とされる者はひとりもないことが、明らかである。なぜなら、「信仰による義人は生きる」からである。

3:12 律法は信仰に基いているものではない。かえって、「律法を行う者は律法によって生きる」のである。

 

口語訳 Uコリ11:3

11:3 ただ恐れるのは、エバがへびの悪巧みで誘惑されたように、あなたがたの思いが汚されて、キリストに対する純情と貞操とを失いはしないかということである。

 

口語訳 ロマ 12:2

12:2 あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。

 

口語訳 ロマ 5:20

5:20 律法がはいり込んできたのは、罪過の増し加わるためである。しかし、罪の増し加わったところには、恵みもますます満ちあふれた。

 

(日)新共同訳1987の引照

新共同 ロマ 3:5

3:5 しかし、わたしたちの不義が神の義を明らかにするとしたら、それに対して何と言うべきでしょう。人間の論法に従って言いますが、怒りを発する神は正しくないのですか。

 

新共同 ロマ 6:15

6:15 では、どうなのか。わたしたちは、律法の下ではなく恵みの下にいるのだから、罪を犯してよいということでしょうか。決してそうではない。

 

新共同 ロマ 3:20

3:20 なぜなら、律法を実行することによっては、だれ一人神の前で義とされないからです。律法によっては、罪の自覚しか生じないのです。

 

新共同 ロマ 7:11

7:11 罪は掟によって機会を得、わたしを欺き、そして、掟によってわたしを殺してしまったのです。

 

新共同 Tコリ15:56

15:56 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。

 

新共同 ロマ 10:5

10:5 モーセは、律法による義について、「掟を守る人は掟によって生きる」と記しています。

 

新共同 ロマ 7:8

7:8 ところが、罪は掟によって機会を得、あらゆる種類のむさぼりをわたしの内に起こしました。律法がなければ罪は死んでいるのです。

 

新共同 ロマ 7:16

7:16 もし、望まないことを行っているとすれば、律法を善いものとして認めているわけになります。

 

新共同 Tテモ1:8

1:8 しかし、わたしたちは、律法は正しく用いるならば良いものであることを知っています。

 

新共同 ロマ 6:2

6:2 決してそうではない。罪に対して死んだわたしたちが、どうして、なおも罪の中に生きることができるでしょう。

 

(仏)THE NEW JERUSALEM BIBLE 1985 の引照

口語訳 ヤコ 1:14-15

1:14 人が誘惑に陥るのは、それぞれ、欲に引かれ、さそわれるからである。

1:15 欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生み出す。

 

口語訳 ロマ 4:15

4:15 いったい、律法は怒りを招くものであって、律法のないところには違反なるものはない。

 

口語訳 ロマ 5:13

5:13 というのは、律法以前にも罪は世にあったが、律法がなければ、罪は罪として認められないのである。

 

口語訳 Tコリ15:56

15:56 死のとげは罪である。罪の力は律法である。

 

口語訳 ロマ 5:20

5:20 律法がはいり込んできたのは、罪過の増し加わるためである。しかし、罪の増し加わったところには、恵みもますます満ちあふれた。

 

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ローマ 7:14−25

理性は律法を喜ぶが肉の中の罪の力が勝つ。みじめな人間よ!

 

 

翻訳比較

 

岩波翻訳委員会訳1995

450714そもそも私たちは、律法は霊的なものであることを知っている。しかし、私は肉的な者であり、罪のもとに売られてしまっている。

450715私は、私が行為していることが、わからない。なぜならば、私は自分が欲していることを為すことをせず、むしろ自分が憎んでいることを行なっているからである。

450716もしも私が自分の欲していないことを行なっているとするならば、〔その判断を私は律法に従ってしているのであるから、〕律法が良いものであると認めていることになる。450717しかし今や、もはや私がそれを行為しているのではなく、むしろ私のうちに住んでいる罪が〔それを行為しているのである〕。

450718実際、私のうちには ――ということは私の肉のうちにはということだが ――善

いものが住んでいないということを、私は知っている。なぜならば、良いものを欲するということは私のうちにもあるのだが、それを行為するということがないからである。

450719私は自分が欲する善いことは行なわず、むしろ自分が欲しない悪いことをこそ為している。

450720もしも私が、[この自分の]欲しないことを行なっているとするならば、もはやこの私がそれを行為しているのではなく、私のうちに住んでいる罪が〔それを行為しているのである〕。

450721それゆえに、良いことを行なうことを欲している自分に、〔まさに〕その自分に、悪しきことが存するという法則を私は見いだす。

450722つまり私は、内なる人に従えば、神の律法を〔心のうちで〕喜んでいるが、

450723しかし私は、自分の肢体のうちに他の法則を見る。〔それは〕私の理性の法則に敵

対して陣営をはり、自分の肢体のうちにある罪の法則の中に私を捕虜にしてしる〔法則である〕。

450724私はみじめな人間だ。誰がこの死のからだから、私を救ってくれるのだろうか。

450725しかし、私たちの主イエス・キリストをとおして、神に感謝あれ。かくして私自身は、理性においては神の律法に隷属しているのだが、しかし肉においては罪の法則に隷属しているのである。

 

新共同訳1987

7:14 わたしたちは、律法が霊的なものであると知っています。しかし、わたしは肉の人であり、罪に売り渡されています。

7:15 わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。

7:16 もし、望まないことを行っているとすれば、律法を善いものとして認めているわけになります。

7:17 そして、そういうことを行っているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。

7:18 わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです。

7:19 わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。

7:20 もし、わたしが望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。

7:21 それで、善をなそうと思う自分には、いつも悪が付きまとっているという法則に気づきます。

7:22 「内なる人」としては神の律法を喜んでいますが、

7:23 わたしの五体にはもう一つの法則があって心の法則と戦い、わたしを、五体の内にある罪の法則のとりこにしているのが分かります。

7:24 わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。

7:25 わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。このように、わたし自身は心では神の律法に仕えていますが、肉では罪の法則に仕えているのです。

 

前田訳1978

7:14 われらが知るように、律法は霊的なものです。しかしわたしは肉的なもので罪のもとに売られています。

7:15 わたしは自分がしていることがわかりません。欲することはせず、いとうことをこそしています。

7:16 しかし、欲しないことをしているなら、律法はよいものと認めているわけです。

7:17 すると、それをするのはもはやわたしではなく、わがうちに住む罪です。

7:18 わたしは知っています、わがうち、すなわちわが肉のうちには、善が住まないことを。意欲はわたしにあっても、善の実践がともないません。

7:19 欲する善はせず、欲しない悪をこそしています。

7:20 しかし、欲しないことをするのはわたしでなくて、わがうちに住む罪がそれをするのです。

7:21 それで、善をなそうと欲するわたしに、悪をもたらす律法があることがわかります。

7:22 わたしは内の人によって神の律法をよろこびますが、

7:23 わが肢体には別の律法が見えます。それがわが精神の律法と戦って、わが肢体の中にある罪の律法の中にわたしを捕えるのです。

7:24 わたしは何とみじめな人間でしょう。だれがわたしをこの死の体から救ってくれましょう。

7:25 われらの主イエス・キリストによって神に感謝します。結局わたし自身、精神では神の律法に、肉では罪の律法に仕えているのです。

 

新改訳1970

7:14 私たちは、律法が霊的なものであることを知っています。しかし、私は罪ある人間であり、売られて罪の下にある者です。

7:15 私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行なっているからです。

7:16 もし自分のしたくないことをしているとすれば、律法は良いものであることを認めているわけです。

7:17 ですから、それを行なっているのは、もはや私ではなく、私のうちに住みついている罪なのです。

7:18 私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。

7:19 私は、自分でしたいと思う善を行なわないで、かえって、したくない悪を行なっています。

7:20 もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行なっているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。

7:21 そういうわけで、私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです。

7:22 すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、

7:23 私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。

7:24 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。

7:25 私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。ですから、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。

 

塚本訳1963

7:14 (要するに罪は掟になく、私の中の罪にある。)その訳は、わたし達が知っているように、律法は(神から与えられた)霊的なものである。しかしわたしは肉的なものであり、(奴隷として)売られて罪の(支配の)下にいるからである。

7:15 (罪の命ずるままに動くだけで、)自分のしていることを知らないのである。(それは自分と結びつかない。)したいと思うことはせず、いやでたまらないことばかりしているのだから。

7:16 ところで、したくないと思うことばかりをしているのなら、律法が良いものであることを認めているわけである。

7:17 そうすると、それをしているのはもはやこのわたしではなく、わたしの中に住み込んでいる罪である。

7:18 なぜなら、わたしの中には、すなわちわたしの肉の中には、(何一つ)善いものが住んでいないことを、わたしは知っている。良いことをしたいと思う意志はいつもわたしにあるが、(悲しいかな、)する力がないのである。

7:19 したいと思う善いことはせずに、したくないと思う悪いことばかりを、するからである。

7:20 ところで、したくないと思うことばかりをしているのだから、それをしているのはもはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪である。

7:21 だから、わたしが良いことをしたいと思えば、かならず悪いことがわたしに生まれるという法則があることを、発見する。

7:22 すなわち、(わたしの中に二つのわたしがあって、)内の人としてのわたしは神の律法を喜ぶが、

7:23 わたしの肢体にもう一つの(わたし、罪の)法則(を喜ぶ外の人としてのわたし)があり、(その神の律法を行おうとする)わたしの理性の法則と戦って、肢体にあるこの罪の法則の捕虜にすることを、経験するのである。

7:24 なんとわたしはみじめな人間だろう!だれがこの死の体から、わたしを救い出してくれるのだろうか。

7:25 ──神様、感謝します、わたし達の主イエス・キリストによって!──従って、このわたしは理性では神の律法に仕えるが、肉では罪の法則に仕えるのである。

 

口語訳1955

7:14 わたしたちは、律法は霊的なものであると知っている。しかし、わたしは肉につける者であって、罪の下に売られているのである。

7:15 わたしは自分のしていることが、わからない。なぜなら、わたしは自分の欲する事は行わず、かえって自分の憎む事をしているからである。

7:16 もし、自分の欲しない事をしているとすれば、わたしは律法が良いものであることを承認していることになる。

7:17 そこで、この事をしているのは、もはやわたしではなく、わたしの内に宿っている罪である。

7:18 わたしの内に、すなわち、わたしの肉の内には、善なるものが宿っていないことを、わたしは知っている。なぜなら、善をしようとする意志は、自分にあるが、それをする力がないからである。

7:19 すなわち、わたしの欲している善はしないで、欲していない悪は、これを行っている。

7:20 もし、欲しないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの内に宿っている罪である。

7:21 そこで、善をしようと欲しているわたしに、悪がはいり込んでいるという法則があるのを見る。

7:22 すなわち、わたしは、内なる人としては神の律法を喜んでいるが、

7:23 わたしの肢体には別の律法があって、わたしの心の法則に対して戦いをいどみ、そして、肢体に存在する罪の法則の中に、わたしをとりこにしているのを見る。

7:24 わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか。

7:25 わたしたちの主イエス・キリストによって、神は感謝すべきかな。このようにして、わたし自身は、心では神の律法に仕えているが、肉では罪の律法に仕えているのである。

 

文語訳1917

"450714","われら律法は靈なるものと知る、されど我は肉なる者にて罪の下に賣られたり。"

"450715","わが行ふことは我しらず、我が欲する所は之をなさず、反つて我が憎むところは之を爲すなり。"

"450716","わが欲せぬ所を爲す時は律法の善なるを認む。"

"450717","然れば之を行ふは我にあらず、我が中に宿る罪なり。"

"450718","我はわが中、すなわち我が肉のうちに善の宿らぬを知る、善を欲すること我にあれど、之を行ふ事なければなり。"

"450719","わが欲する所の善は之をなさず、反つて欲せぬ所の惡は之をなすなり。"

"450720","我もし欲せぬ所の事をなさば、之を行ふは我にあらず、我が中に宿る罪なり。"

"450721","然れば善をなさんと欲する我に惡ありとの法を、われ見出せり。"

"450722","われ中なる人にては神の律法を悦べど、"

"450723","わが肢體のうちに他の法ありて、我が心の法と戰ひ、我を肢體の中にある罪の法の下に虜とするを見る。"

"450724","噫われ腦める人なるかな、此の死の體より我を救はん者は誰ぞ。"

"450725","我らの主イエス・キリストに頼りて神に感謝す、然れば我みづから心にては神の律法につかへ、内にては罪の法に事ふるなり。"

 

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各国聖書引照編集

 

(独)NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 27版1993 の引照

新共同 エペ 3:16

3:16 どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めて、

 

新共同 ガラ 5:17

5:17 肉の望むところは、霊に反し、霊の望むところは、肉に反するからです。肉と霊とが対立し合っているので、あなたがたは、自分のしたいと思うことができないのです。

 

新共同 ロマ 7:23

7:23 わたしの五体にはもう一つの法則があって心の法則と戦い、わたしを、五体の内にある罪の法則のとりこにしているのが分かります。

 

(英・米)THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE 1982 の引照

口語訳 Tコリ3:1-3

3:1 兄弟たちよ。わたしはあなたがたには、霊の人に対するように話すことができず、むしろ、肉に属する者、すなわち、キリストにある幼な子に話すように話した。

3:2 あなたがたに乳を飲ませて、堅い食物は与えなかった。食べる力が、まだあなたがたになかったからである。今になってもその力がない。

3:3 あなたがたはまだ、肉の人だからである。あなたがたの間に、ねたみや争いがあるのは、あなたがたが肉の人であって、普通の人間のように歩いているためではないか。

 

口語訳 ロマ 7:24

7:24 わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか。

 

口語訳 ロマ 14:22

14:22 あなたの持っている信仰を、神のみまえに、自分自身に持っていなさい。自ら良いと定めたことについて、やましいと思わない人は、さいわいである。

 

口語訳 ガラ 5:17

5:17 なぜなら、肉の欲するところは御霊に反し、また御霊の欲するところは肉に反するからである。こうして、二つのものは互に相さからい、その結果、あなたがたは自分でしようと思うことを、することができないようになる。

 

口語訳 ピリ 3:12-14

3:12 わたしがすでにそれを得たとか、すでに完全な者になっているとか言うのではなく、ただ捕えようとして追い求めているのである。そうするのは、キリスト・イエスによって捕えられているからである。

3:13 兄弟たちよ。わたしはすでに捕えたとは思っていない。ただこの一事を努めている。すなわち、後のものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ、

3:14 目標を目ざして走り、キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与を得ようと努めているのである。

 

口語訳 ロマ 12:9

12:9 愛には偽りがあってはならない。悪は憎み退け、善には親しみ結び、

 

口語訳 ロマ 7:20

7:20 もし、欲しないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの内に宿っている罪である。

 

口語訳 ロマ 4:7-8

4:7 「不法をゆるされ、罪をおおわれた人たちは、/さいわいである。

4:8 罪を主に認められない人は、さいわいである」。

 

口語訳 Uコリ8:12

8:12 もし心から願ってそうするなら、持たないところによらず、持っているところによって、神に受けいれられるのである。

 

口語訳 ピリ 3:8-9

3:8 わたしは、更に進んで、わたしの主キリスト・イエスを知る知識の絶大な価値のゆえに、いっさいのものを損と思っている。キリストのゆえに、わたしはすべてを失ったが、それらのものを、ふん土のように思っている。それは、わたしがキリストを得るためであり、

3:9 律法による自分の義ではなく、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基く神からの義を受けて、キリストのうちに自分を見いだすようになるためである。

 

口語訳 ロマ 7:5

7:5 というのは、わたしたちが肉にあった時には、律法による罪の欲情が、死のために実を結ばせようとして、わたしたちの肢体のうちに働いていた。

 

口語訳 ロマ 7:25

7:25 わたしたちの主イエス・キリストによって、神は感謝すべきかな。このようにして、わたし自身は、心では神の律法に仕えているが、肉では罪の律法に仕えているのである。

 

口語訳 ロマ 8:3-13

8:3 律法が肉により無力になっているためになし得なかった事を、神はなし遂げて下さった。すなわち、御子を、罪の肉の様で罪のためにつかわし、肉において罪を罰せられたのである。

8:4 これは律法の要求が、肉によらず霊によって歩くわたしたちにおいて、満たされるためである。

8:5 なぜなら、肉に従う者は肉のことを思い、霊に従う者は霊のことを思うからである。

8:6 肉の思いは死であるが、霊の思いは、いのちと平安とである。

8:7 なぜなら、肉の思いは神に敵するからである。すなわち、それは神の律法に従わず、否、従い得ないのである。

8:8 また、肉にある者は、神を喜ばせることができない。

8:9 しかし、神の御霊があなたがたの内に宿っているなら、あなたがたは肉におるのではなく、霊におるのである。もし、キリストの霊を持たない人がいるなら、その人はキリストのものではない。

8:10 もし、キリストがあなたがたの内におられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊は義のゆえに生きているのである。

8:11 もし、イエスを死人の中からよみがえらせたかたの御霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリスト・イエスを死人の中からよみがえらせたかたは、あなたがたの内に宿っている御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも、生かしてくださるであろう。

8:12 それゆえに、兄弟たちよ。わたしたちは、果すべき責任を負っている者であるが、肉に従って生きる責任を肉に対して負っているのではない。

8:13 なぜなら、もし、肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬ外はないからである。しかし、霊によってからだの働きを殺すなら、あなたがたは生きるであろう。

 

口語訳 ロマ 13:14

13:14 あなたがたは、主イエス・キリストを着なさい。肉の欲を満たすことに心を向けてはならない。

 

口語訳 ガラ 5:19-21

5:19 肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、

5:20 偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、

5:21 ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。わたしは以前も言ったように、今も前もって言っておく。このようなことを行う者は、神の国をつぐことがない。

 

口語訳 ピリ 2:13

2:13 あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。

 

口語訳 ロマ 7:17

7:17 そこで、この事をしているのは、もはやわたしではなく、わたしの内に宿っている罪である。

 

口語訳 ロマ 8:7

8:7 なぜなら、肉の思いは神に敵するからである。すなわち、それは神の律法に従わず、否、従い得ないのである。

 

口語訳 ロマ 2:29

2:29 かえって、隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、また、文字によらず霊による心の割礼こそ割礼であって、そのほまれは人からではなく、神から来るのである。

 

口語訳 Uコリ4:16

4:16 だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。

 

口語訳 ロマ 8:26

8:26 御霊もまた同じように、弱いわたしを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。

 

口語訳 Uコリ12:7-9

12:7 そこで、高慢にならないように、わたしの肉体に一つのとげが与えられた。それは、高慢にならないように、わたしを打つサタンの使なのである。

12:8 このことについて、わたしは彼を離れ去らせて下さるようにと、三度も主に祈った。

12:9 ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。

 

口語訳 Uコリ1:8-10

1:8 兄弟たちよ。わたしたちがアジヤで会った患難を、知らずにいてもらいたくない。わたしたちは極度に、耐えられないほど圧迫されて、生きる望みをさえ失ってしまい、

1:9 心のうちで死を覚悟し、自分自身を頼みとしないで、死人をよみがえらせて下さる神を頼みとするに至った。

1:10 神はこのような死の危険から、わたしたちを救い出して下さった、また救い出して下さるであろう。わたしたちは、神が今後も救い出して下さることを望んでいる。

 

口語訳 Tコリ15:57

15:57 しかし感謝すべきことには、神はわたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちに勝利を賜わったのである。

 

口語訳 Uコリ12:9-10

12:9 ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。

12:10 だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。

 

口語訳 ピリ 4:6

4:6 何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。

 

(日)新共同訳1987の引照

新共同 Tコリ3:1

3:1 兄弟たち、わたしはあなたがたには、霊の人に対するように語ることができず、肉の人、つまり、キリストとの関係では乳飲み子である人々に対するように語りました。

 

新共同 ロマ 3:9

3:9 では、どうなのか。わたしたちには優れた点があるのでしょうか。全くありません。既に指摘したように、ユダヤ人もギリシア人も皆、罪の下にあるのです。

 

新共同 ロマ 6:6

6:6 わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。

 

新共同 ガラ 4:3

4:3 同様にわたしたちも、未成年であったときは、世を支配する諸霊に奴隷として仕えていました。

 

新共同 ロマ 7:19

7:19 わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。

 

新共同 ガラ 5:17

5:17 肉の望むところは、霊に反し、霊の望むところは、肉に反するからです。肉と霊とが対立し合っているので、あなたがたは、自分のしたいと思うことができないのです。

 

新共同 ロマ 7:12

7:12 こういうわけで、律法は聖なるものであり、掟も聖であり、正しく、そして善いものなのです。

 

新共同 Tテモ1:8

1:8 しかし、わたしたちは、律法は正しく用いるならば良いものであることを知っています。

 

新共同 ロマ 7:20

7:20 もし、わたしが望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。

 

新共同 ロマ 8:3

8:3 肉の弱さのために律法がなしえなかったことを、神はしてくださったのです。つまり、罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り、その肉において罪を罪として処断されたのです。

 

新共同 ロマ 7:15-17

7:15 わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。

7:16 もし、望まないことを行っているとすれば、律法を善いものとして認めているわけになります。

7:17 そして、そういうことを行っているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。

 

新共同 ロマ 7:23-25

7:23 わたしの五体にはもう一つの法則があって心の法則と戦い、わたしを、五体の内にある罪の法則のとりこにしているのが分かります。

7:24 わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。

7:25 わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。このように、わたし自身は心では神の律法に仕えていますが、肉では罪の法則に仕えているのです。

 

新共同 ロマ 8:2

8:2 キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、罪と死との法則からあなたを解放したからです。

 

新共同 Uコリ4:16

4:16 だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。

 

新共同 エペ 3:16

3:16 どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めて、

 

新共同 Tペテ3:4

3:4 むしろそれは、柔和でしとやかな気立てという朽ちないもので飾られた、内面的な人柄であるべきです。このような装いこそ、神の御前でまことに価値があるのです。

 

新共同 ロマ 6:19

6:19 あなたがたの肉の弱さを考慮して、分かりやすく説明しているのです。かつて自分の五体を汚れと不法の奴隷として、不法の中に生きていたように、今これを義の奴隷として献げて、聖なる生活を送りなさい。

 

新共同 ヤコ 4:1

4:1 何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いが起こるのですか。あなたがた自身の内部で争い合う欲望が、その原因ではありませんか。

 

新共同 Tペテ2:11

2:11 愛する人たち、あなたがたに勧めます。いわば旅人であり、仮住まいの身なのですから、魂に戦いを挑む肉の欲を避けなさい。

 

新共同 コロ 2:11

2:11 あなたがたはキリストにおいて、手によらない割礼、つまり肉の体を脱ぎ捨てるキリストの割礼を受け、

 

新共同 ロマ 6:17

6:17 しかし、神に感謝します。あなたがたは、かつては罪の奴隷でしたが、今は伝えられた教えの規範を受け入れ、それに心から従うようになり、

 

新共同 Tコリ15:57

15:57 わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。

 

(仏)THE NEW JERUSALEM BIBLE 1985 の引照

口語訳 ガラ 5:17

5:17 なぜなら、肉の欲するところは御霊に反し、また御霊の欲するところは肉に反するからである。こうして、二つのものは互に相さからい、その結果、あなたがたは自分でしようと思うことを、することができないようになる。

 

口語訳 ロマ 7:5

7:5 というのは、わたしたちが肉にあった時には、律法による罪の欲情が、死のために実を結ばせようとして、わたしたちの肢体のうちに働いていた。

 

口語訳 ガラ 2:20

2:20 生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。

 

口語訳 ヤコ 1:14-15

1:14 人が誘惑に陥るのは、それぞれ、欲に引かれ、さそわれるからである。

1:15 欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生み出す。

 

口語訳 ロマ 5:21

5:21 それは、罪が死によって支配するに至ったように、恵みもまた義によって支配し、わたしたちの主イエス・キリストにより、永遠のいのちを得させるためである。

 

口語訳 ロマ 6:23

6:23 罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。

 

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